さて、前回は万年禅寺の釣鐘と半鐘がどのようにして妙光寺へと引き取られて行ったか、という民話を紹介しました。
そちらについて、くわしくは前回の記事を見ていただくとして。
今回は、万年禅寺と妙光寺に伝わるお話を、もう一つ紹介したいと思います。
むかし、横浜の恩田に霊鷲山 松栢院 萬年寺(りょうじゅさん しょうはくいん まんねんじ)という寺がありました。
今は廃寺となっていますが、その名は万年禅寺とも伝わっていますから、禅宗の寺であったのでしょう。
今でも恩田には「万年寺谷戸」という字が残っています。
この萬年寺については、「新編武蔵風土記稿」の都筑郡 神奈川領 恩田村の項に次のように記されています。
小字名。萬年寺谷 乾の方を云う。(中略)
古墳寺蹟 萬年寺と唱ふるは村の南の方にあり、禅念寺と云は西北の方にありて、今は何も字にのみ残れり。むかし戦争の頃萬年寺にある鐘を陣中へうばひ行て陣鐘に用ひ後相州鎌倉郡瀬谷村妙光寺へ持行て今にあり。云々
とあります。
この新編武蔵風土記稿は、江戸時代末期の文化年間から文政年間のころに編纂されたものですから、その頃にはすでに「今は何も字にのみ残れり」とされているように、完全に廃絶していた事がうかがえます。
言い伝えによれば、この寺の住職はたいへんな囲碁好きで、誰かを捕まえては以後の勝負を挑み、明けても暮れても一日中碁を打ち、寝ている時ですら碁の夢を見るというありさまでした。
やがて、毎日の寺の務めもおろそかになるどころか、寺に何百年も伝わってきた鐘を撞く日課ですら小僧さんに任せるという始末だったそうです。
そんなある日のこと、村の庄屋の屋敷で囲碁の大会が開かれた事がありました。
囲碁の大会と聞いては、万年時の和尚も居てもたってもいられずに駆けつけましたが、負けた相手から小判を貰った事で賭け碁の大会だった事を知ると、和尚は調子に乗って打ち続けました。
もともと強かった和尚は財布がパンパンになるまで勝ち続け、「さすがは本因坊さまじゃ」とおだてられてた上に、ご馳走にも呼ばれて上機嫌で帰っていったのです。
しかし、この事ですっかり賭け碁に夢中になってしまった和尚は、ますます寺の務めをおろそかにして囲碁に打ち込みました。
和尚は、その辺りから不思議とまったく囲碁に勝てなくなってしまったものの、一向に賭け碁を辞める気にはなりませんでした。
やがて、賭け碁に負け続けた和尚は寺の木魚や仏具、果ては仏像まで売り始めてしまい、とうぜん寺の手入れをする金も無く、寺は荒れていく一方でした。
小僧もすっかり愛想を尽かして寺を出ていってしまっても、和尚の賭け碁は治まる事は無く、やがて御本尊さまさえ賭けに取られて何も無くなってしまい、それまで和尚様と呼んでくれていた村人たちも近寄らなくなってしまったのです。
それでも相変わらず一人座って碁盤に向き合っていた和尚のところに、「カネを恵んで欲しい」と何度も何度も戸を叩く声がしました。
こんな荒れ寺に金なんかあるわけがないだろうと和尚は言いますが、それでもカネを恵んでほしいというので、勝手に入って何でも好きなものを持っていけと怒鳴ってしまいます。
すると、何度も呼びかけていたうるさい声はぴたりと止まって、嘘のように静かになってしまったかと思うと、夕方になって突然鐘の音が鳴り始めたのです。
小僧はとうに出て行ったし、はて誰がついているのかと不思議に思った和尚が鐘楼を見てみると、なんとそこにあったはずの梵鐘が姿を消していたのです。
そうです、カネはカネでも釣ってあった梵鐘を持っていかれたのです。
釣鐘はどこを探しても見つかるはずもなく、この話を聞いた村人たちは「ご本尊さまのバチが当たったのだ」と噂し会いました。
そのカネは、どこをどう巡り巡ったか、恩田から瀬谷までの旅を経て、妙光寺で今も使われ続けています。
その後、和尚もいなくなって行方知れずとなってしまい、ご本尊さまも仏具も梵鐘も失った荒れ寺は継ぐ者も誰もなく、今では万年寺谷戸という地名だけが往時を偲ばせているという事です。
この時の万年寺の観音像は、恩田の徳恩寺にあると言われています。
この聖観音の御詠歌は
鷲の山 たえぬみのりは 萬年寺
仏のごおん たのもしきかな
であるのがその根拠となっています。
現在、妙光寺に残る梵鐘には、もともと万年寺のものであったことが刻まれています。
行基菩薩草創渉歳時也久矣招提既為・・・とありますが、時間がなくて全部を写し取ることはできませんでした。
また次回にでも時間を取って再訪したいと思います。
妙光寺の立派な鐘楼で、綺麗に保存された梵鐘を眺めていると、まるで最近にでも作られたかのような精巧な作りと保存状態のよさに感嘆します。
せっかくですので、御首題(御朱印)を頂戴しました。
日蓮宗独特の、流れるような筆致の「ひげ題目」が実に美しい御首題です。
みうけんは日蓮宗徒ではないのですが、このような有難いご縁に感謝しかありません。
また、この妙光寺は日蓮宗の宗祖、日蓮上人がお泊りになった霊場でもあるようです。
いま、早春の陽もうららかに差し込む妙光寺の境内で、鐘楼に下がった梵鐘の周りをぐるりと廻って眺めているとき、この梵鐘がかつて恩田にあったという悠遠の歴史を思い出し、ここにも時の流れの無常というものをひしひしと感じたのです。
【みうけんさんオススメの本もどうぞ】