みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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小説のモデルともなったか 三戸の畑の丸山塚(三浦市)

どこまでも続く広い広い相模灘のさざなみの奥には秀麗富士を仰ぎ見る、文字通り風光明媚な三浦市の三戸浜というところがあります。

この三戸浜は夏にでもなれば砂浜で遊ぶ人が多く集まる賑やかなところですが、その砂浜に沿って広がる集落は三浦の海沿いの町の風情を色濃く残しており、みうけんのお気に入りの場所でもあります。

 

さて、三戸浜といっても、その南側の小高い丘の畑の真ん中まで行く人はなかなかいないと思いますが、今回は原付を走らせて細い農道をどこまでも登っていきました。

その先には、畑の倉庫の裏にこんもりとした塚が築かれているのが見て取れたのです。

 

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もともと三浦半島は神奈川県内の中でも塚の残存率が高いようで、過去に紹介した「タッチャバ塚」「義士塚」「今日塚」など多くの塚や古墳が残されています。 

 

今回、この塚のすぐ脇で農作業をしていた女性に「塚を観察させてください」とお願いしました。

「うちのだからさ、好きに見ていっていいよ〜」と優しいお言葉を頂き、その女性は再び農作業へと出ていかれましたが、この時に少しでもお話を聞ければ良かったとも思いつつ、農作業の邪魔になってしまうのもヨロシクないので塚の下からそっと写真を撮らせていただきました。

 

この塚はその頂きに「丸山塚」と陰刻された石柱が建てられ、塚の表面を覆う芝は綺麗に手入れされ、大切にされているのが分かります。

 

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この丸山塚について、いろいろと地域史料をあたってみましたが特に言及したものもなく、ネット上での検索でも該当するものはありませんでした。

江戸期に編纂された一大地域史料である「新編相模国風土紀稿」や「三浦古尋録」にもこの塚についての記述は見られませんでした。

そのため、いつ、なんのために作られたのかも分かりません。

 

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ただ、一つ気になったのは、昭和47年(1972年)に新田次郎氏によって書き上げられた少年向け小説「つぶやき岩の秘密」(新潮少年文庫)に出てくる情景についてです。

 

 

新田次郎氏は、三戸の鎮守である諏訪神社の近くに現在も「新潮社ステラマリス」として残されている新潮社の保養所に滞在し、有名な「八甲田山 死の彷徨」を執筆されたという事ですが、この際に目にした三戸の浜と、その周辺を舞台とした作品が、この「つぶやき岩の秘密」なのです。

 

 「つぶやき岩の秘密」に出てくる「大塚村」は三戸をモデルにしたもので、この中の「塚が崎」という荒磯について、このように書いているのです。

 

塚が崎は三浦半島の台地から相模湾に向かってぐんと腕をつき出したように延びていた。

台地の続きはほぼ平坦な地形で、いちめん大根畑になっていた。大根畑を塚が崎の先端に向かってどこまでも歩いて行くと断崖に行き当たる。

 

この中で、「塚が崎」をどこまでも行くと、その先は断崖で、「大根畑と防風林との間に塚が三つある。」と紹介されているのです。

 

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これは、かつてこの地に住んでいた長者の一族の墓だと言われており、大塚村や塚が崎の呼称が出たのはこの塚があったからであろう、とも書かれているのです。

 

これは、あくまでも子供向けの小説の中の話であるので過分にフィクションを含んでいると思われます。塚も、もともと小説のとおり3つあったのが1つだけになったのか、それともあと2つはどこか林の中にでもあるのか、それとももともと1つだったのか。

その辺りの事はよくわかりません。

 

しかし、この塚が崎の塚のモデルとなったのが、この塚であるのは間違いないのでは、と個人的に思います。

 

かつて、高名な小説家であった新田次郎氏が、三戸の浜を散策する中でこの塚を見つけ、小説について大いに構想を膨らませた事でしょう。

今となってはその記録も、記念碑もありませんが、この塚だけはいまでもこの地にあり続け、日本文学の一部となった誇りを全身で表すかのように堂々としているのです。

 

 

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