みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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里人たちの信仰絶えない 上矢部の薬師堂(相模原市)

相模原市のなか、広大な敷地を誇る米軍相模原補給廠(返還決定)の近くに、普段は静かな住宅街である上矢部という地域があります。

 

このあたりは観光地でもないので訪れる人も限られていますが、中世には豪族矢部氏が城を構えるなど、なかなかに歴史が深いところで、それに比例して民話や逸話もいくつか残されています。

 

そんな上矢部の街を原付で走っていると、大野北公民館の脇に小さなお堂のような建物を発見したので、ちょっと立ち寄ってみました。

 

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さっそくインターネットで調べたところ、これは薬師堂とのこと。

町田市図師町の長慶寺を本寺とし、この薬師堂の本堂には安永9年(1780年)と記された建立棟札があるそうです。

 

安永9年といえば、時の世は江戸幕府の第10代将軍、徳川家治公の治世にあたります。

時代劇好きな方・池波正太郎ファンなら誰もが名前くらいは知っているであろう、「鬼平犯科帳」の主人公、鬼の平蔵こと長谷川平蔵が活躍した頃でもあります。

 

この薬師堂が建立されている所は、かつて鎌倉時代にこの地域を支配した豪族、「横山党」の一族であった矢部氏の居館の裏鬼門にあたるといわれています。

 

恐らくはその頃から、居館を守る守護仏として機能していたのでしょう。

この薬師堂、本開帳は三十三年毎に、 中開帳は十七年毎に行われています。 

 

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この薬師堂は治世が変わってからも庶民たちの信仰を集め続け、江戸時代には本堂も建てかわり、令和となった現在でも魔除けと安産に霊験あらたかであるとして地元の信仰を集めている、という事なのです。

 

現在では、このお堂の前の道は何の変哲もない生活道路ですが、かつては「上矢部街道」と呼ばれる主要な道でした。

特に、このあたりの上矢部村を通る道なのでこのように呼ばれていたそうで、矢部新田を開拓した人々が、境川の水をくみに通った「水くみ街道」としても重要だったといわれています。

 

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残念ながら薬師堂の中は伺い知ることができませんでしたが、お堂の前には物言わぬ六地蔵と、別のお地蔵さまが祀られていました。

 

このお地蔵さまは、今なお数えきれないほどの千羽鶴が供えられ、お花や衣服をいただいて、頭には温かそうな帽子をかぶり、優しいまなざしで上矢部の人々を見守っています。

 

このような、観光客など決して訪れないであろう静かな住宅街の一角に、今なおひっそりと続く里人たちの信仰が連綿と続いているさまを目の当たりにして、ヒグラシのなく晩夏の夕暮れの中そっと手を合わせたのでした。

 

 

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