みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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武将と姥の悲しき伝説 日月社と姥子社(横浜市戸塚区)

戸塚区の不動坂交差点から北西に伸びる瀬谷柏尾線、県道401号を北に進んでいくと、上矢部小学校入口の交差点にさしかかります。

 

この交差点を左に折れた住宅街の中、一段高くなったところに日月社と姥子社と呼ばれている祠が隣り合って、仲良く建っているのがわかります。

 

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このうち、立派な鳥居があるほうが「日月社」です。

この「日月社」は鎌倉時代の寛元年間(1243年~1247年)の創建と伝えられています。

 

当時の里人たちが、夜も昼も区別なくもたらされる神明の御加護に深く感謝し、朝日と夕日がよくあたる好地に神祠を建てたのが始まりという事で、長いこと日待、月待の祭事を続けてきたということです。

 

やがて、この場所は「日夜の杜」と呼ばれるようになり、いつしか「日の森谷」の小字名を残しているそうです。

 

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もう一軒ある「姥子社」は、鎌倉時代に創建されたと伝えられています。

こちらの方には鳥居がありませんが、説明看板が立てられています。

 

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この「姥子社」は、もともとは上矢部町字姥子前1463番地、現在の上矢部第五公園の位置にあったとされており、明治時代の古地図にもハッキリと鳥居のマークが描かれています。

 

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この「姥子社」は、伝承によれば三浦大介義明公の侍女であった、矢部庄司為行の姥にまつわるとされています。

 

矢部庄司為行が死去すると、尼となった姥は矢部庄司為行の墓の側に小庵を結び、菩提を弔いながら念仏ざんまいの日々を送ったそうです。

 

やがて、この尼も亡くなると、この庵があった跡地に「姥子社」を建て、その霊をねんごろに供養したものだと言われています。

 

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このように歴史と伝承に富む姥子社ですが、宅地化の波には逆らえずに、昭和の中頃にこの場所に移されたということです。

 

現在、境内には天保4年(1833年)の年号が入る道祖神庚申塔が残されており、この石仏も他から移されてきたものだそうです。

 
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いま、上矢部小学校わきの上矢部第五公園には、当時「姥子社」があったという痕跡もなく、当時はあったであろうお墓も庵も失われ、かつての面影を思い起こさせるものは何も残されていないのが悲しいところです。

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この地はかつて悲しい伝説の残る土地でしたが、時は流れてすっかり明るい住宅地に生まれ変わり、すぐわきの小学校からは子供たちが奏でる楽器の音色や歌声が聞こえ、いにしへの人たちの悲哀を慰めているかのようで、感慨もひとしおです。

 

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