JR東海道線、湯河原駅の裏あたりには線路に沿って狭い道が続いています。
この宮下の辺りはかつて、一面のミカン畑だったそうですが現在は徐々に新しい家も建って新興住宅街へと変わろうとしています。
そんな宮下の里の片隅に、決して観光客などは来ないであろう、小さくて古い薬師堂がひっそりと残されています。
この薬師堂について、江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」などを確認しましたが、これといった説明はなされていないようです。
ただ、本堂に掲げられた扁額には「薬師堂」と刻まれて、「相模国八十八カ所六番 宮下 薬師堂」の陰刻がある古い看板には
かりのよに ちぎやうあらそう むやくなり
あんらくこくの しゅごをのぞめよ という御詠歌が読み取れます。
これは、おそらく「いま生きているのはあくまでも仮の世だというのに、ここに財と地位を求めて何になろう。どうせなら、極楽浄土で仏の守護を望めばよいではないか」と欲深き衆生を諭す意味だと思います。
この薬師堂の入口を見れば、そこには石像の閻魔大王が残されています。
また、その脇には十王が厳然と控えています。
それは、さながら閻魔庁の玄関にでも来たような錯覚にとらわれます。
これらはかつて彩色されていたそうですが、今となってはその痕跡はありません。
また、向かって左手にはひときわ表情豊かな老婆の石像が残されています。
この石像は、奪衣婆(だつえば)という老婆の石像ですが、奪衣婆というのは、だいたい憎たらしい表情か恐ろしい表情をしていると相場が決まっていて、このように楽しそうに笑っている奪衣婆を見たのは初めてです。
古くより信仰されてきた民衆仏教の中で、人は死ぬと誰もが必ず三途の川を渡る、というのは誰もが聞いたことがあると思います。
その三途の川のほとりには必ず奪衣婆が待ち伏せており、旅路を続ける死者の衣服をものすごい速さで剥ぎ取り、奪い取っていきます。
その着物は、樹の上で待機する懸衣翁(けんえおう)という老爺の姿をした鬼に渡され、衣領樹という大樹の枝にかけられます。
もし、死者が生前に大きな罪を犯していた場合には衣領樹の枝は大きくしなり、そのしなり具合によって死後の処遇が決められるのです。
また、特に盗みの罪を犯した者は、奪衣婆が衣服をはぎ取るときに手の指を折られて、その罪の深さを戒められるといいます。
この奪衣婆は、葬頭河婆(そうづかばあ)、正塚婆(しょうづかのばあ)、姥神(うばがみ)、優婆尊(うばそん)とも呼ばれて大変恐れられていました。
地獄絵図には必ず出てくる顔なじみの存在ですが、だいたいは胸元をはだけさせ、しなびた乳房をたらした姿か、上半身裸で表現されることもあります。
「熊野観心十界曼荼羅」に登場する奪衣婆などは、そんじょそこらの鬼よりも大きい巨大なものです。
しかし、ここの奪衣婆は白髪頭に鉢巻を巻いて、大きく開いた口からは舌をペロリとのぞかせて、そのさまはまるで笑っているかのようです。
少なくとも、他に見るような怒った顔ばかりの奪衣婆とは明らかに違います。
三浦半島出身の郷土史研究家、松浦豊先生の上梓された「神奈川の郷土美探訪」という本が蔵書にありますが、そこには以下のように紹介されています。
白髪頭に鉢巻を結び、はだけた胸に萎びた乳房、やせた体はあばら骨がすけてみえるようである。そして大きな眼をギョロつかせ、 開いた大きな口は怒りというより、憎々しくもみえるが、また、笑っているようにもみえ、陰刻な鬼婆のイメージはない。
現在、この奪衣婆や閻魔大王は地域の方にとても大切にされているようで、この時も手編みと思われる帽子やよだれかけが掛けてありました。
さすがに、これをめくって見るのも気が引けたので、「はだけた胸に萎びた乳房、やせた体はあばら骨がすけてみえるようである。」かどうかまでは分かりませんでした。
また、閻魔大王も通常は死者を見下し、睨み付けるような恐ろしい形相をしていることが多いのですが、ここの閻魔大王は楽しそうで、おどけた笑い顔をしています。
大きく開いた口からは舌が見え、その冠にはやはり丁寧に編まれた帽子が被せられ、さらによだれかけまでかけられて、従来の恐ろしくて厳格な閻魔大王のイメージはありません。
愛する家族と別れて一人で歩く死出の旅を想像してみてください。
冥界の中で三途の川を渡り、生前の罪に対する審判を受けるといったときに、これほどまでに愉快で楽し気な鬼婆や閻魔大王が待ち構えているとなれば、その気の重さもいくらか紛れるといったものでしょう。
本来、恐ろしく、厳しくて、とても行きたくはないと思われる冥途への旅ですが、昔の人々はこのように斬新な発想と造像で、少しでも冥界への恐怖を紛らわせようとしたのでしょうか。
また、閻魔大王は迷える死者の手を引いて極楽浄土へと案内する慈悲の菩薩、お地蔵様の化身でもあると信じられてきました。
ここ薬師堂の前に立つ地蔵菩薩の立像は、奪衣婆や閻魔大王とはうって変わった神妙なお顔をしており、すっかり信心を忘れて仏縁から離れていく現代の衆生の姿を、静かに見守っているかのようです。