三浦半島をツーリングしていてよく通るのが、三浦半島南端をぐるりと周回するように走る県道215号線である。
この215号線の剱崎バス停の南の信号を入って海沿いに降りていくと、そこは道しるべもなく通る人も少ない細い農道となっていく。
この灯台の脇にあるレーダー施設がひときわ目立つので、そのレーダーを道しるべとして道に迷うこともなく進んでいくことが出来るのはありがたい事である。
この風光明媚な丘に映えるこのレーダー塔は、インターネット上では無粋であると酷評されていることも多いが、はるかに望む海原と房総半島、その自然的な美しい光景と対をなす無機質な白い鉄塔がひときわはえて美しく、みうけんは個人的には好きな風景である。
このレーダー施設と、剱崎灯台へと降りていく道の手前を脇道へそれていくと、その先は岩浜となっており、引いては返す潮騒がざわめくところで、他に歩くものは水鳥とフナ虫くらいものものであるが、この下り坂を下っていくその先に見えてくるのが鎮西八郎為朝にまつわる伝説を今に伝える、矢の根井戸と呼ばれるところなのである。
この矢の根井戸は別記事で紹介したとおりであるが、この直下の平たいところは昔「星見の池」と呼ばれていた所であった。
現在は特に案内看板も由来書も設置されてはいないが、かつてここの「星見の池」は、神域として神聖な場所であり、神様が魚を惜しんだということから「惜しみの池」と呼ばれたのが語源であり、それが転化して「星見の池」となったと伝わっているのである。
というのも、ここは大正12年の関東大震災で地殻変動がおき、地面が大きく隆起するまでは海水が豊富に出入りするところで、干潮になれば魚が入り江に取り残されるところであった。
その魚の数は多く、たくさんのスズキやクロダイの群れが集まったという。
しかし、ここの魚を獲れば神様のたたりで必ず病気に罹ると戒められていたので、この地域の人たちは決して魚を獲ることはしなかった。
しかし、何も知らない安房国(現在の千葉県南部)の漁師たちが東京湾を越えての漁の最中に、ここで休憩をとった際にたくさんの魚が入り江に取り残されているのを見つけ、これ幸いと綱を打っては沢山の魚を舟に満載し、喜び勇んで帰っていった。
しかし、その漁師たちは言い伝えのとおり、たちまち重い病気にかかり、誰一人助からなかったという。
時は流れ、この「星見の池」現在では地盤も隆起して完全な陸地になり、もちろん魚も見られなくなった。
しかし、もし地震で隆起しなかったら絶好の釣り場となり、神の思いをよそにたくさんの釣り人に踏み荒らされ、テグスなどのごみで汚されたのかもしれない。
そう思うと、この星見の池は、隆起してしまって魚を寄せ付けなくなった現在の姿がいちばんよかったのではないかと思えてくる。
この星見の池があった所のすぐ先は波しぶき舞い上がる荒磯で、ここに当たっては砕ける荒波の繰り返しすさまを眺めるとき、ここにもかつての人々が歩んできた永い歴史と神様に対する畏敬がにわかに感じられ、時の流れのはかなさをそくそくと感じるのである。