江戸時代の終わりころ、上磯部の南のはずれに「まんじ屋」という屋号の酒屋(現在は川崎姓)があった。
そこに、鎌倉の建長寺の僧と称する一行が宿をとった。何しろ「した~に、した~に」という触れ声もいかめしく到着したものだから、同家では下へも置かぬ丁重なもてなしであった。
やがて夕刻となり風呂へ入ることになったが、「絶対に見てはならぬぞ」ということなので、風呂場の周りには紅白の幕を張り巡らして誰も付近には近づかぬように気を付けていたのである。
しかし、入浴の時間があまりにも長すぎた。
見てはならぬと言われて余計に駆り立てられる好奇心と、風呂場で倒れてやしまいかという心配の声が上がり、そっと幕のすき間から風呂場を覗いてみることにした。
すると、中にいたのは僧などではなく、大きな尻尾を揺らして気持ちよさそうに風呂につかるむじなの姿であった。
家の者は驚きもし、「人間をだまして一番風呂を使うとは何たる畜生だ」と憤りもしたが、ここでむじなに悪さをして祟りでもあってはならないと、皆示し合わせたうえで十分に御馳走してもてなし、翌朝無事に送り出したのである。
行く先は八王子だというので、大きな犬を連れて後を追い、下溝を通り、原当麻を通り過ぎて、番田の次は上溝も通り過ぎて橋本に差し掛かったとき、連れてきた犬をむじなの化けた坊主にけしかけたのである。
犬は猛然と吠えかかり、噛みついてくるので、むじな坊主は驚いて右往左往するばかりであったが、とうとう犬にかみ殺されて、その正体を現したのであった。
後から聞いた話では、狐や狸のたぐいは人間の生き血を吸うことによって変化の力をつけるという事で、そのむじなも建長寺の僧の生き血を吸って殺してしまい、僧になりかわっていたのだという。
その後、このまんじ屋では、この時にむじなが書いたという掛け軸を家宝として大切に保管しているという。
「南無阿弥陀仏建長寺住職なにがし」と書かれたもので、その異体文字が何とも奇妙な雰囲気で、今でも子孫の川崎氏が大切に保管しているとのことである。