みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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もとは武士の庵 観心寺本堂の由来(相模原市南区)

JR相模線原当麻の駅から西に150メートル、原当麻駅入り口の交差点脇には観心寺という小さく目立たないお寺がある。

山号を聲音山という時宗の寺院で、本尊は聖観世音菩薩である。

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この観心寺のあたりには旧家として松本家や中島家があるが、観心寺に縁の深い松本氏の系図によると、その八代目の兵衛尉景宗は後村上天皇滝口の武士(警護)であった。

 

景宗は、南朝の勢が日に日に哀運に傾くのを嘆き、ひそかに吉野を逃れて信州松本に行き民間に隠れて暮らしていたが、慶安元年(1361年)の春、時宗であった当麻山無量光寺に真空上人を訪ね、深く信心してついにこの地にとどまることになったのである。

 

ある晩、相模川に釣り船を浮かべていると、川の水面に金色の光が輝いているのが見えた。怪しんで舟を近寄せて水中をのぞき込むと、なにやら光る物が浮いたり沈んだりしている。網をおろして静かに引き上げると、なんと一寸八分(5.4センチ)の観音菩薩の尊像であったのだ。

(余談であるが、「一寸八分の観音様」は別の意味ももつ隠語である。その意味は各自で検索)

 

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景宗は驚き、かつ喜んで、これを奉じて急いで家に帰り、真空上人に相談の結果、自らの家を改造してお堂とし、上人の戒をも受けて僧となり、日夜の勤行を怠ることがなかったという。

 

それからしばらくして、十一代の景高は八王子城北条氏照に仕えたが、天正18年(1590年)の八王子城落城後は、再びこの地に帰り観心法師を住持として観音像を守らせた。その子景仁の時、慶長19年(1614年)現在の原当麻を開拓して、いままで浅間神社の崖下の連田と称する地点に居住していた人たちとともに、ここに移り住み、観音堂も一緒にこの地に移したのである。

 

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現在の観心寺がすなわちそれで、御本尊は秘仏として内陣の奥深くに鎮座されて里人の篤い信仰を集めている。縁日は毎年10月の9日、19日、29日である。


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いま、この観心寺は訪れる人も少なく、首が落ちて自然石にすげ替えられた地蔵菩薩がただただ哀愁をさそう寂しげな寺であるが、境内に積もる落葉を踏みしめるたびに、この地で一心に信仰を捧げた景宗の読経が聞こえてくるようで、感慨もひとしおである。

 

 

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