みうけんのヨコハマ原付紀行

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和田義盛が帰依した廃寺 安楽寺の痕跡を訪ねる【~その3~大泉寺編】(三浦市)

さて、三浦一族の豪将であった和田義盛が深く帰依したとされる「安楽寺」のシリーズも、これで三回目です。

 前回は道路拡張によって廃された安楽寺の跡地と、その御本尊様であった薬師如来さまが移された天養院を見てきました。

 

 

今回は、安楽寺の本堂であった建物の行方を見ていきたいと思い、近くにある日蓮宗寺院、天王山 大泉寺を尋ねました。

 

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この大泉寺の歴史は、寺所蔵の「寺明細帳」に伝わるところによればを応仁元年(1467年)にまでさかのぼります。

 

この和田地区に住んでいた住人、内匠長又(たくみながよし)という人が日泉上人の教えに感銘して日蓮宗に改宗し、自ら堂宇を建立し、日泉上人を開山と仰いで大泉寺を建立した、とされています。

 

江戸後期に編纂された一大地域史料である「新編相模国風土記稿」の中の「三浦郡 衣笠庄 本和田村」の項、「大泉寺」の説明では

 

大泉寺

天王山 大林院と号す。法華宗。金谷村大明寺の末。本尊は三宝祖師。開山は大林院 日泉上人(安明元年四月一日没)

 

とあります。

 

しかし、この大泉寺は不運にも昭和18年(1943年)の火災で本堂を失い、その際に寺の縁起などが焼失してしまいました。

 

偶然にも火災から免れて唯一残る「寺明細帳」のみが、大泉寺の詳細な歴史を今に伝えているのです。

 

それから、大泉寺はしばらくの間、仮の本堂で細々と続いていましたが、ちょうど向かいの安楽寺が前の記事で述べた道路拡張のために取り壊されることになりました。

 

廃寺となった安楽寺の御本尊さま「薬師如来さま」は近くの天養院へ移されたのは前回も触れましたが、では解体された本堂はどうなったか。

それが、現在の大泉寺の本堂である、という事です。

 

時代の流れに翻弄され、歴史の中に姿を消したかのように見えた安楽寺は、実は今もこうして形を変えて脈々と受け継がれてきたのです。

 

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本堂を参詣し、御首題を頂きました。

日蓮宗独特の流れるような「南無妙法蓮華経」の髭題目の脇に書かれた「我深敬汝」(我、深く汝を敬う)「不敢軽慢」(敢えて敬慢せず)という字が印象的でした。

 

これは「妙法蓮華経 常不軽菩薩品 第二十」に出てくる「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 当得作仏」という一説から取ったものでしょう。

 

この「妙法蓮華経 常不軽菩薩品 第二十」は「お釈迦さまは、誰でも分け隔てなく敬い、それを自ら実践されています」という内容なのです。

 

「我深く汝等を敬う 敢えて敬慢せず その所以は何ぞや 汝等皆菩薩の道を行して 当に作佛(悟りを開く)することを得たり」という事で、一心に仏の道を歩み、やがて悟りを開くひたむきな信者たちこそがもっとも尊く、敬うものであると教えているのだそうです。

 

最近、日本人の中でも美徳とされてきた他人への礼儀や神仏への感謝が日々失われつつあると感じますが、現代に生きる私たちは今一度、この法華経の言葉を思い起こすときが来ていると思います。

 

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参詣を終えてお礼を述べ、このお寺を後にするときに、お寺の入り口の門柱が気になったのでじっくりと拝観しました。

 

こちらも「南無妙法蓮華経」という御首題の下には「法界」の言葉が記されています。「法界」とは「広大無辺のすべての世界」を指す言葉でしょう。

 

塔の左側面に「当山廿四世、文浄院日静大徳」と江戸末期の御住職の名が陰刻され、その下には9人の方の戒名が記されています。

 

また右側面には「南無宗祖日蓮大菩薩」と力強く陰刻されています。裏面には「寛政五癸丑(1793)稔(にん) 霜月(しもつき)(旧暦の十一月)下旬」と建立の日付が記され、下方に「天王山大泉寺 廿八世日通代」とあります。


これは、この寺を寺子屋としていた時、その師匠をつとめた二十四世日静上人をたたえ、二十八世日通上人の代に建てられたものだそうです。

 

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この時の寺子屋の精神が今にも立派に受け継がれているのでしょうか、この訪問の際にも大泉寺の境内では中学生くらいの息子さんが黙々と掃除をされていました。

実に感心な事だと思います。

 

また、現在では地図には載っていないので廃寺となってしまったようですが、「新編相模国風土紀稿」には養長院という寺院も掲載されています。

本尊の毘沙門天の像は、やはり和田合戦の際に和田義盛の代わりに矢を受けたと書かれており、そちらも気になりました。

 

また、近くの白旗神社には和田義盛の像があるといいます。

 

この和田の里には、掘り下げてみれば和田義盛に関するエピソードがもっともっと出てきそうです。

 

およそ800年のむかし、たしかにこの地に生きた和田義盛という人の言い伝えが、今なおこれほどまでに残っているという事が驚きです。

 

時は流れて令和の世となった現代に、ただかつての豪将の面影を思い起こしながら和田の里を歩くとき、遥かに見える和田城址の森の上にたなびく旗印が目に浮かぶようで、ここにも歴史のはるかな流れが身に沁みたのです。

 

 

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