みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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侍に斬りころされた 天応院の墓標石塔(相模原市)

以前、戦国武将であった北条氏照と、その一人娘であったとされる貞心尼の伝説を書いたことがあります。

 

 

その貞心尼の墓があるというのが、相模原市下溝にある龍淵山 天応院です。

このお寺は曹洞宗で、もともと栃木県の佐野にあったそうですが戦国時代に焼失したために、北条氏照の娘であった貞心尼を中興開基として、明応4年(1495年)にこの場所に再建されたものだそうです。

そんなお話を聞くだけでも、なかなかに歴史のある寺である事が分かります。

 

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江戸時代の慶安3年(1650年)には寺領9石7斗を拝領し、後の江戸幕府第3代将軍となる徳川家光公の養育役であった青山忠俊により、再中興されています。

 

苛烈な廃仏毀釈運動にもめげず、明治時代には、現在の麻溝小学校の前身となる下溝学校を開校するなど、この下溝地区の歴史と密接な関わりを持っているお寺です。

 

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さて、この天応院の本堂は平成23年に新築された新しいものですが、この本堂の脇には墓地が広がっています。

 

この墓地の真ん中あたりには、この天応院の歴代の御住職達のお墓が並んでいますが、その姿は無縫塔という特徴的な卵形の墓跡で、お寺にこの無縫塔が並んでいる場合は、ほぼ歴代の御住職のお墓と思って間違いはないそうです。

 

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この無縫塔の群れの中には、不思議なものが残されています。

幽霊の墓石とも言われていますが、これはどこまでが本当か分かりません。

その無縫塔は、見ても分かるように綺麗に斜めに斬られたものが2基残されているのが分かります。

これは、かつて侍に斬り殺された墓石だというのです。

 

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むかしむかし、いつの時代かははっきりとわかっていません。

この天応院に、ひとりの侍が寄宿していました。

 

その侍がどのような身分で、どのような理由でここに身を寄せていたのかもわかっていません。

 

ある、とても蒸し暑い日の夕暮れ、その侍は庫裏の戸を開け放って外をぼんやりと眺めていました。

すると、遠くの方からぼんやりとした、影のような形の定まらないものが近づいてきたかと思うと、何の音を立てる事もなく侍の前を通り過ぎ、そのまま墓地の中に入って行ったのです。

 

さては、怨霊の類か魑魅魍魎か。

これほどまでに怪しき物は見たことがないと、侍はいつも脇に置いていた刀を握り締めて外へ飛び出すと、目にも留まらぬ早技で刀を抜き、その怪しい物を袈裟懸けに切り捨てたのです。

 

侍は、確かに手応えを感じました。

その手応えは、煙のようなふわふわとした物ではなく、もっとしっかりと実体のある物を斬ったような重い感触でした。

 

怪しい物は見事に一刀両断されると煙のように消えてなくなり、後には真っ二つに切り捨てられた石塔が転がっていたのです。


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この石塔が、本当に幽霊だったのか、それとも何かに取り憑かれていたのか。

また、侍が切った物は幽霊だったのか、この墓石だったのか。

この墓石であれば、なぜ、なんのために出歩いていたのか。

 

詳しい事は何も伝えられてはいません。

それでも、一心込めると石も切られるものと見え、地元の人たちは今でもこの無縫塔を「お化け石塔」と伝えているのだそうです。


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このすぐ横には、貞心尼の立派な墓も残されています。

この貞心尼さんにお会いするのは2回目です。心を込めてお参りさせて頂きました。

 

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いま、この天応寺の境内に立ち、袈裟懸けに斬られた無縫塔と貞心尼の墓に向き合うとき、かつてこの地に生きて仏道に身を捧げた貞心尼の祈る姿や、袈裟懸けにきられてしまった墓石を供養する村人達の後ろ姿が目に蘇ってくるようで、ここにも限りのない時間の流れをそくそくと感じるのです。

 

 

 

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