みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
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月を信仰した女たちの思い出 蓬莱橋の二十三夜塔(相模原市)

境川の上を京王相模原線がまたぐところから、眺めの良いサイクリングロードを約500メートルほどさかのぼった所にかかるのが「蓬莱橋」です。

 

蓬萊(ほうらい)とは古代中国における神仙思想の中で、東の海上(または海中)にあるとされる、仙人が住むといわれていた神仙の世界のことです。

 

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また、蓬莱とは意味を転じて古代中国から見て当方の海の果てにあった神秘の国、現在の台湾や日本を指すといった考えもされています。

さて、この蓬莱橋の脇に二十三夜塔の祠と言われるものが残されているのが分かります。

 

 

この祠の中には一体の仏像が祀られており、たくさんの衣服がかけられ、わらじまで奉納されていることから、地域の方々からとても大切にされているのが分かります。

 

仏像というものはお顔のほかにも、お召しになっている衣服やお持ちになっているものを観察してその尊体が何をかたどったものであるか、というのを判断しますが、このようにお顔しか見えない場合は少々判断に迷います。

 

一見して聖観世音のようにも見えましたが、その場で調べたところ、やはり二十三夜講の御本尊である勢至菩薩さまであるという事です。

  

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いまではすっかり廃れてしまいましたが、江戸時代ごろまで庶民の間に広く流行した「月待ち」という行事がありました。

 

室町時代ごろにはすでにあったとされている信仰形態で、十三夜から始まり十五夜十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などの特定の月齢の夜に仲間同士で集まってご詠歌や念仏を唱え、安産や子育てから今後の無病息災と悪霊退散を祈願したというものです。

これを月待ちと呼んだのです。

 

その後は持ち寄ったご馳走を囲んで語り合い、特に二十三夜講は短く読んで「三夜待ち」と呼ばれ、それが「産夜」に転化した事から、女性が集う集まりとして、女性たちの楽しみともなっていたそうです。

 

現在でも十五夜には月にお団子をそなえる風習がわずかながら残されているのはご承知の通りですが、みうけんの周囲でも夏の終わりにはハロウィンが盛り上がりを見せるのに、十五夜の話をする人がほとんどいないというのが寂しい事です。

 

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この月待ちが終わった事を記念して、しばしば記念石碑や石仏が建立されたこともありました。

ここ蓬莱橋の二十三夜塔もそのひとつです。

 

当時は、今でいう十五夜講よりも二十三夜講のほうが盛んに信仰され、二十三夜講に集まった人々が建立した二十三夜塔も全国のいたるところに残されました。

 

二十三夜講は、旧暦23日の夜に行われたといいますが、その実態は毎月23日の事もあれば、各月の23日、奇数や偶数月の23日など、地方によって様々だったと言われています。

 

二十三夜講では勢至菩薩が本尊として崇拝され、ほかの月待講が地域によって行われたり行われなかったりと誤差があるのに対し、二十三夜塔は日本全国に分布しているのが特徴的とされています。

 

特に記念に仏像が建立される場合は、そのほとんどが勢至菩薩であり、同じようにして建立された勢至菩薩像を過去に紹介した事があります。

 

 

 

さて、この二十三夜塔がある蓬莱橋のあたりは、かつて大山詣りの人たちが多く通った街道筋でした。

 

神仏に願いをかける精進の旅ということで近くに精進場ができたこともあり、もともと蓬莱橋は精進橋という名前だったそうです。

 

 

しかし、その後は妖怪「小豆とぎ婆」の悪い噂がたつようになり、狐が人を化かす、花嫁行列が通ると祟りがあると噂が噂を呼んだために、次第に避けられるようになりました。

 

さらに、追い討ちをかけるように老人や子供が橋から落ちる事故などもあったため、安永10年(1781年)、江戸幕府の第10代将軍徳川家治公のころに、橋の供養として建立されたものが今も残る二十三夜塔だという事です。

 

精進橋という名前は、これを記念して蓬莱橋に改めたということです。

橋の近くにあったもので、この勢至菩薩さまは「橋の守り神」として信仰を受けますが、時代を経るにつれて橋が「足」に変化して足の病に効くと信じられ、また旅路が無事に遂げられるようにと手を合わせる旅人も多かったと言われています。

 

その名残として、現在も堂内には多くの草履やわらじが奉納されているのを見ることが出来るのです。

 

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いま、行事としての二十三夜講はすっかり廃れてしまって、かろうじて十五夜のお月見が記憶に残る程度になってしまいました。

しかし、そのお月見ですら現在でも続けている人は知った限りでは1人もいないのが淋しい事です。

 

それでもなお、この二十三夜塔の中には、今でも真新しいわらじが奉納され、勢至菩薩の立像には温かそうな服が着せられて、地域の方々からとても大切にされているようです。

 

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秋風の吹く気持ちの良い日本晴れの日、この空の下で小さなお堂に納められた勢至菩薩像に手を合わせるとき、かつてこの空の下に集って楽しそうに食事を囲み、また月に向かって一心に念仏を唱えたであろう昔の人々の生き様がまざまざと眼前に蘇るかのようで、深い感慨を覚えるのです。