JR横浜線、淵野辺駅から線路に沿って町田方面へ行くと、線路沿いの鬱蒼とした森の中に神社が見えてきます。
これが淵野辺の新田稲荷神社で、新田と書いて「しんでん」と読みます。
この神社はもともと淵野辺新田の鎮守であり、春になると境内には桜が満開になり、電車で通う乗客たちの目を楽しませています。
また、時折境内で子供を遊ばせる親子連れの姿も見かける、実に平和な神社といったたたずまいです。
この神社の御祭神は稲倉魏命(ウガノタマノミコト)、境内社に今熊神社(建速須佐之男命=タチハヤノスサノヲノミコト)、細戈神社(クワシホコジンジャ。天照大神と武甕槌命(タケミカヅチノミコト)をお祀りし、大祭は例年の8月末の日曜日です。
この神社の奥には、呼ばわり山と呼ばれる小さな小山があり、その上には今熊神社の祠が建てられています。
もともとこの場所は平地でしたが、このあたりは広大な原野であったため、いったん草 に囲まれると方向がわからなくなり、行方不明になってしまう人が後を絶ちませんでした。
そのため、この地に高さ7メートルの塚を築き、人探しに御利益のある八王子川口村の今熊神社を勧請して、頂上で鐘や太鼓を叩いて、お祈りして探したと伝えられています。
境内の「細戈神社」は、もともとは旧陸軍兵器学校に祀られていたものだそうです。
戦争が終わった昭和20年の末に、陸軍兵器学校の閉校にともなって行き場を失ったために、ここに遷座されたのだといいます。
いま、この神社の周囲はすっかり開発されて住宅街となり、往時の面影をうかがい知ることはできません。
かつて、この辺りが一体の草野原であったということは、今ではにわかに信じがたいことです。
この呼ばわり山の上に立ち、はるかなる相模原の地を見渡すとき、かつてこの山の上で行方知れずとなってしまった我が子を声の限りに呼び続けた母親の悲痛な声が思い出されるかのようで、ここにもいにしへの思い出がふつふつと甦るのです。
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