みうけんは、もともと港北区の出身でもあるので、港北区は縁が深いところ。
今回も昔をなつかしんで、やってきたのがこちら「菊名池公園」です。
立地は東急東横線の妙蓮寺駅から徒歩5分。
水道道をはさんで南北に分かれ、北側は池、南はプールになっています。
この池の周りは公園になっていて、近所にお住まいの方々がのんびり過ごしたり、保育園の子どもたちが遊びに来たりしています。
住宅街の中の公園とあって、園内にはたくさんの木が植えられていました。
今の時季は綺麗に紅葉している木もあり、カメラを片手に立ち寄ってみるのも良いかもしれません。
園内の中心は、その名の通り菊名池が。
もともとは大きな池だったものが、昭和40年代の中頃に水道道が中心を貫く形で開通したため、現在の姿になったそうです。
昔を知る古老の話によると、終戦直後は進駐軍の兵隊さんがこの池で泳いでいるのが日常の光景だったそうです。
現在はさすがに進駐軍の姿はおろか泳ぐ人はなく、鴨や鯉たちがゆっくりと過ごす姿を人間たちが眺めて過ごす、そんな癒しスポットになっているようです。
癒されたら「近くなる」もの。
そんな時にも安心できるよう、きちんとトイレも完備されています。
男性用小便器、和式便器、洋式便器あり。
菊名池には、いろいろな生物が住んでひとつの生態系を形作っているようです。
ここにライギョやアカミミガメなどの外来種も増えているようです。
興味深い資料が掲示してありました。
こちらは昭和3年の菊名池で、見事に大きな1つの池となっているのが分かります。
平成7年の地図も並べて掲示されていました。
この頃にはすでに菊名池は2つに分断され、南側はプールになっていますね。
再度、昭和3年の地図を見てみました。
菊名池の左上のほうに、小さな点のような表記があります。
これは富士塚があったところで、現在の町名の由来にもなっています。
富士塚というのは、富士山が神様として崇められていた時代、お参りはしたいけれど足腰が弱いお年寄りやお子さんはなかなか行けないので、この塚に登るか、拝むか、この塚から本物の富士山を拝むかしていたそうで、いろんなところに作られました。
残念ながら、町名にもなった港北区篠原地区の富士塚は、宅地開発のために現在は消滅しています。
水道道をはさんで南側に行きますと、現在はプールになっています。
ここもかつては池だったところですが、毎年夏になれば多くのお子さんたちがワイワイと楽しむ声が聞こえてきます。
冬の間は地元の方々の憩いの場所として、お散歩コースにもなっています。
プールのほとりに鎮座されている菊名池弁財天。
今も昔も変わらない、菊名池の守り神です。
現在も横浜七福神の弁財天として多くの方から崇敬され、時折お子様づれでお参りしているお母さんもいたりします。
仏教では弁財天ですが、神道では市杵島姫命。
むかし、日本では仏教と神道が明確に分けられていなかったので、このように仏教でも神道でもお祀りされています。
この菊名池弁財天も、神道式の鳥居をくぐってお参りしますが、仏教式にお線香が用意してあったりします。
ふつう、弁財天といったら琵琶を持っている姿が連想されます。
江の島の弁財天などは腕が8本あって、なんだか強そうなアイテムを持っていますが、こちらの弁財天は左手には何でも願いをかなえるという宝珠を、右手には破邪の剣を持っています。
昔、山車だったというお堂。
こぢんまりとしていますが立派な作りで、きちんと手入れもされています。
これは地元の方々によってお世話されています。
いつもありがとうございます。
本堂内部は、意外と明るいんですね。
上の方にはお姿を描いた絵が奉納されていました。
神さま仏さまも、こうしてお姿がよく見えると親しみがわいてきます。
そして、とっても立派な龍の彫刻。
3Dプリンターなどない昔の作品ですから、もちろん手彫りでしょう。
みうけんは神社仏閣は好きでよく行きますが、この柱の彫刻の見事さには毎回感心してしまいます。
いま、これだけのものを彫れる職人さんは日本に何人くらい残っているのでしょうか。
横浜市の住宅街にひっそりと佇み市民の憩いの場とされていながら、実はいろんな顔を持つ菊名池。
お近くにお住まいの方も、そうでない方も、一度訪れてみてはいかがでしょうか。
再訪希望値:★★★ 是非とも行きたい
【みうけんさんおススメの本もどうぞ】
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