前回では、葉山町の森戸大明神と、古木「飛(び)ビャクシン」の紹介をしました。
今回は、そのビャクシンのすぐ近くにある千貫松という松です。
この千貫松は、見上げるような巨石の上に根づき、あまりに強い海風に身をくねらせ、躍らせるようにして生きながらえています。
この千貫松にも源頼朝の伝説が残されています。
時は元暦元年(1184年)、今まさに源氏と平家の決戦かという時のことです。
かねてより多忙を極めた源頼朝は、休息のために遊覧に出ていました。
その際に森戸大明神にも立ち寄りましたが、神社の裏手に聳える絶壁の上に生きる松の木を見つけます。
源頼朝はそのあまりの見事さに感嘆し、「これはいかにも珍しき松なり」と褒め讃えました。
出迎えに来ていた和田義盛は、それを聞いて「我らはこれを千貫の値うちがあると考えており、よって千貫松と呼んでおります」と答えたために、源頼朝はたいそう喜ばれたという言い伝えが残っています。
千貫というのは当時のお金の単位で、銭1000枚を1貫とした、とされています。
またお米の単位としても使われました。
なるほど、こうして数百年の時を経てもなお、海の上に向けて力強く枝を伸ばす背後には相模灘の海が広がり、遠くに伊豆半島と秀麗富士山が望めて、その景色の価値はお金で買うことはできない、と当時の人が考えたのもうなずけます。
このように源頼朝は、森戸大明神とその周囲の風光明媚さをこよなく愛し、たびたび遊覧に訪れたとされています。
そのために源頼朝にまつわる伝承も多く、源頼朝が腰をかけたと伝えられる腰掛松や、源頼朝はじめ代々の将軍たちが遊覧されたという御殿跡と呼ぶ館跡があったともいわれています。
おそらく、源頼朝をはじめとした代々の将軍たちは多くの供侍や侍女を従えては、この森戸海岸においてしばしば歌舞遊楽の宴をここに催し、華やかで豪華な絵巻物のような世界をここ森戸浜に繰り広げたことでしょう。
そのほか、この森戸大明神の境内には、咳に苦しむ人を救う「おせき稲荷」、葉山を世界に紹介したドイツ人医師ベルツ博士やイタリアのマルチーノ公使などの顕彰碑、大型の子産石を恭しく飾った安産の水天宮など、いろいろと見どころがあります。
日差しも温かな早春の日、平日という事もあり訪れる人もまばらな森戸大明神の境内を見て回るとき、海から吹き上げてくる風は頬に心地よく、かつて源頼朝も愛したであろう遥かな相模灘の奥には指呼の間に伊豆半島を望み、数百年の時を経ても変わることのない、美しく雄大な情景にしばし我を忘れて見入ったのは言うまでもありません。
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