みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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修験道の本尊 伊勢原の火伏不動尊(伊勢原市)

小田急線伊勢原駅前の県道61号線、通称「中央通り」を北に向かって進み、伊勢原小学校入り口の交差点を過ぎたところにこぢんまりとした不動堂があるのが見えてきます。

 

その入り口には見上げるようなトタン板の看板が掲げられ、そこには「火災防除 開運招福 交通安全 伊勢原火伏不動尊」と大書きされており、通るたびに境内は綺麗に掃き清められ、地域で大切にされているのが良く伝わってくるところです。

 

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さっそく原付を止めてヘルメットを脱ぎ、ご挨拶させていただきました。

個人的には弁天様、観音様、お不動様を深く信仰しているので、心を込めてお参りさせて頂きました。

 

境内に掲げられた看板によれば、この「伊勢原火伏不動尊」は「お身丈五十二糎」(52センチ)の木像の座像である、とされています。

 

いつ、誰の手によって作られたものかはハッキリしていないものの、両脇には不動明王の使者として有名な矜羯羅(こんがら)童子を向かって右に、制多迦(せいたか)童子を向かって左にひかえさせています。

 

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むかし、この町には修験道の道場として、高僧「聖真法印」によって開かれた、知水山大覚院という寺があったそうです。

 

修験道というのは、もともとは日本の山岳信仰でしたが、山にこもって荒行を繰り返し、大自然の不思議な力を身につけ、悟りを開くという仏教の一

 

江戸時代後期に編纂された一大歴史資料である「新編相模国風土紀稿」の伊勢原村の項において

 

大覚院

知水山と号す。当山修験。江戸青山鳳閣寺配下。開山聖眞。慶安四年九月卒。本尊不動。

 

と紹介されているるものの、現在は廃寺となっています。

この伊勢原の火伏不動尊は、その大覚院の御本尊さまであった、「不動明王」そのものを現在の地に移したものとされています。

 

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文化13年(1816年)、伊勢原一帯を襲った大火の際、街をなめ、這いつくばるようにして広がっていった炎の勢いはとどまるところを知りませんでしたが、不思議にも、この不動堂のところで猛火の勢いはおさまったそうです。

 

これを目の当たりにした里人たちは、以降は「火伏の不動さま」と崇め、その信仰は現在も続いているのだそうです。

 

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不動明王という明王さまは、炎に包まれながら剣を携え、いかにも恐ろしい形相でこちらを睨みつけています。

 

しかし、その実際は一切の障害を焼き払い、里人に襲いかかる妖魔の群れを剣で打ち砕き、手に持つ縄は妖魔をとらえ、また悪事を働こうとする里人に投げ縄を放って捕らえ、力ずくでも正しい道に引き戻そうとする慈悲の仏さまです。

 

そのために日本では大変な人気があり、今なおこうして多くの人たちから信仰されているのです。

 

いま、静かな不動堂の境内にひざまづき、一心に手を合わせて改めてお不動さまへの帰依を誓うとき、かつてこの里を練り歩いた修験行者たちの艶姿が目に浮かぶようで、ここにも千年の時の流れの速さをしみじみと感じたのです。

 

 

 

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