神奈川県の真ん中に近い綾瀬市の吉岡の里を原付で流していました。
晩秋の風は心地よく、皮ジャンパーを着ているので肌寒さもなく、実に心地よい季節です。
目久尻川に沿って走る昔ながらの道路をずっと北上していくと、路傍に一軒の祠が見えてきたので思わず原付を停めてみました。
正面に独特な筆致で「不動明王」と書かれたそのお堂は、地元の方々によって管理されている駒井不動尊という不動明王の祠でした。
この駒井不動尊の起源は安政5年(1858年)にさかのぼります。
ちょうど江戸幕府の第13代 征夷大将軍、徳川家定から第14代 征夷大将軍、徳川家茂に替わった年で、あと10年もすれば明治時代に入るという江戸幕府の再末期にあたります。
ふつう、不動明王というものは筋骨隆々で、仏道から迷いだそうとする人間と、その人間を誘惑する煩悩を睨みつける憤怒の形相が定番ですが、こちらの不動明王はふっくらとした顔立ちと、滑らかな肩が優しげな表情を見せています。
その台座には「大山不動明王 安政五午年四月吉辰 立之 天下泰平 村中安全」「講中三軒庭 駒井庭」と陰刻され、この世の平安と村の安全を祈願したものである事が判ります。
また、その脇には2体の地蔵尊が祀られています。
右脇にはこの不動尊が建立されるより半世紀以上も前の寛政8年(1796年)に、駒井三軒村の念仏講中の女性により建てられた地蔵尊が祀られています。
また、左脇にはさらに古い享保5年(1720年)に造立された地蔵尊がありますが、横に大きく切断されているのか、割れてしまったのか、修復された後が痛々しく残っています。
また、その境内には常夜灯がきれいな形で残されています。
この常夜灯は不動明王の建立と同じ、安政5年(1858年)のものです。
かつては毎夜のように堂守が灯をともし、夜道を行く人々はこの常夜灯を目印に歩いたのかもしれません。
この不動尊の建立から200年以上たったいまでも、地元の方々は不動講をつくって集まり、日々のお世話をされているそうです。
きれいに掃き清められた小さな不動堂のなかにおわす不動明王さまとお地蔵さまは、今日も物言わぬ優し気な顔だちで、この吉岡の里に暮らす人たちを見守り続けています。
いま、秋の夕暮れの中でこのお不動様とお地蔵さまに香華を手向けて手を合わせるとき、その静謐な堂内の中で一心に不動明王の真言を唱え、手を合わせた人々の昔日の光景がにわかに思い出されるようで、ここにも在りし日の思い出が鮮明によみがえってくるかのようです。
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