横須賀市の中でも名峰である武山は海抜202メートルを数え、頂上からの展望は特に素晴らしいが、その登山道は舗装されて車で登る事もできるものの、すれ違いが難しく、このような所こそが原付の力の見せ所である。
また、武山は頂上からの眺望がすばらしいだけではなく、相模湾や東京湾の海上からも目立つ山として知られており、古くから航海の目印ともなってきたのである。
その頂上には武山不動堂があり、今なお多くの信仰を集めている。
この山頂に、不動尊が祀られるようになった起源に次のような話が伝わっている。
文禄3年(1594)のある日、奈良東大寺の万立という僧が関東行脚のさい、武山のふもとの横枕という所にあった小さな庵に旅の宿をとった。
その夜、夢のお告げがあったことから、その僧 は翌日から不動尊をつくりはじめ、完成するとそれを庵に安置して立ち去ったのである。
その後、天和3年(1683)に讃誉見随(さんよけんずい)という僧が、この不動尊を武山の山頂に移し、持経寺を開いたと伝えられているのである。
ふつう、不動明王は江戸時代の修験僧の本尊とされているが、深い山にこもって修行をする修験僧であった見随は、武山を霊山とみなして、ここに不動尊を祀ったのかも知れない。
もともと山岳信仰の趣を持つ武山不動を参拝するには、決して楽な山道ではないのであるが、名刹古刹の階段がきついように、元来ならこれも修行の一つであった。
行くことすら不便な山奥にもかかわらず、毎年1月28日の初不動には多くの人びとが参拝する中で、とりわけ目立つのが弱った足腰にムチ打つようにして登っていくお年寄りの姿であり、腰を曲げての山登りの姿に、山頂の不動明王によせる信心深さを見るかのようである。
また、海を生業とする漁師たちの中からも、武山不動に対して篤い信仰が寄せられており、それは頒布されるお札の多くに船名が書かれる事からも明らかであり、このお札は海上安全のお守りとして船に大切に祀られるのだという。
かつて、灯台もGPSも無かった頃は「武山はたよりになる山だ」とされ、漁師たちと常に共にあった。
それは、沿岸で漁をする漁民は、山などの陸上の目標によって漁場や船の位置を知ったからであり、どこよりも高い武山は最も重要な陸標だったのだろう。
武山不動への登山道はいくつかあるが、その登り口には前不動と呼ばれる石造の不動尊像が立っているという。
現在の表登山道の入口になっている一騎塚にも、前不動がまつられているし、最も昔の面影をのこしている南武からの登山口にも前不動がまつられている。
これらの前不動はい ずれも江戸時代末期に建てられていることから、この頃が武山不動がもっとも栄えた時期だったのかも知れない。
嘉永6年6月、浦賀沖に黒船が現われた時には黒船を見ようと武山の山頂は見物人で埋まったと当時の農民日記には書き記されているが、今こうして武山の頂上から海を眺めれば、遠く水平線に外国からの貨物船が見えて、黒船を見に集まった人々の歓声が今でも聞こえてくるかのようである。