今日の映画です。
今回見たのは、1959年(昭和34年)公開の日本映画、「私は貝になりたい」です。
ラジオ東京テレビ(現在のTBS)のドラマを映画にリメイクしたものです。
なお、予告編の動画は見つかりませんでしたのであしからず。
この映画の主演は「幕末太陽傳」などでおなじみ、フランキー堺。
個人的に大好きな俳優さんです。
舞台は二次世界大戦も末期となった昭和19年(1944年)年。
四国の南西のはじっこ、高知県幡多郡清水で小さな理髪店を営む清水豊松(しみずとよまつ・フランキー堺)。
彼は、小学校を出るなり理髪店に丁稚奉公に出されてしごかれながら、理髪店で働いていた房江(桜むつ子)と結婚し、ようやく自分の小さな店を構えて理髪店を営んでいました。
豊松の腕は確かで、また気弱で虫も殺せないような温厚な人柄も村人から愛されて、床屋は繁盛していましたが、ついに豊松のところにも召集令状が届きます。
内地の部隊に所属した豊松は、上官からしごかれながらも辛く厳しいばかりの訓練生活を送っていました。
そんなある日 Bー29が撃墜され、その搭乗員を捜索して「適当な処分をせよ」という命令が下ります。
その結果、搭乗員を発見し、虫の息であるのにもかかわらず銃剣で刺殺するよう命令を受ける豊松ですが、あまりの気の弱さもあり、実際には負傷させただけに終わりました。
終戦後、豊松は無事に帰郷し、再び理髪店で腕を振るっていました。
しかし、GHQの憲兵隊が豊松を戦犯として逮捕します。
豊松は、上官の命令には逆らえないこと、刺殺は自分の意思ではないことなどを必死に抗弁しますが通じずに絞首刑を宣告されます。
豊松が残した遺書は、
「もう人間には生まれて来たくない。
牛や馬も人間にいじめられる。
いっそのこと、深い深い海の底で、戦争にもとられない、家族の心配をすることもない、貝に生まれ変わりたい」と遺書を残して物語は終わりを迎えるのです。
なんでしょうねぇ。
この、映画を観た後の重苦しい気分。
戦後、多くの映画がラッキーエンドを追い求める中で、これほどまでに観客を愕然とさせて終わる映画は久々に見ました。
どこにでもいそうで、平凡で、気の弱い散髪屋。
片田舎どころか都会から遠く離れたのんびりした村で、下手したら一生に一度、「外人さん」を見るか見ないかといったような生活をしていた豊松。
そんな彼が、上官の命令によって無理矢理アメリカ兵を刺し殺さなければならないという境遇。
「なぜその命令を拒否しなかったのか」と詰め寄る裁判官に対し、「日本の軍隊ではね、兵隊は牛や馬と同じなんだ。上官の命令は天皇陛下の命令といって、拒否することは許されない」と怒りに肩をふるわせながら抗弁し、それでもあっけなく絞首刑にされてしまうという理不尽さ。
この映画は戦後に多く作られた典型的な反戦映画ですが、それもそのはず。
実際にこういう経験をした方が多くいたそうですから、この理不尽を甘んじて受けるしかなかった日本人の辛さというものは筆舌に尽くし難いものがあります。
第二次世界大戦では、アメリカの謀略によって勝ち目のない戦をさせられ、よってコテンパンに叩きのめされて以降、今なお日本はアメリカの属国に甘んじているわけですが、ではもし第二次世界大戦でドイツと共に勝っていたらどうなったのか。
それはそれで、人を牛馬のように扱う軍隊は温存され、上官からの理不尽なしごきに苦しむ若者も多かった事でしょう。
日本は、昔も今もとかく精神論に走りがちです。
竹槍で敵の爆撃機を落とせなど無茶苦茶な事を言われ、それを実行しなければ非国民と言われた時代。
全てが理不尽で、道理というものがなかった時代。
この豊松が、軍隊や戦争はおろか、家族さえ気にしなくてよい貝になりたいと言ったその心中は、幸せを謳歌する現代の日本人に、いまなお平和の尊さを熱く訴えかけて来るのです。