みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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時代の流れに翻弄された 千駄ヶ崎の稲荷山(横須賀市)

 

横須賀市の東海岸を南北に走るペリー通りは、バイクで走っても車で走っても、また徒歩で歩いても風光明媚な道で特にお気に入りです。

 

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そのペリー通りを通り、久里浜から北下浦まで抜けていくと、左右からおおいかぶさるようにして山並みが続いています。

この山が、稲荷山と呼ばれているものです。

 

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ここには昭和の初めまで、千駄稲荷というお稲荷様が祀られていました。

 

むかし、この地方に住む武士で藤原武明というものがおりました。

この藤原武明はたいへんな忠義もので誰からも信頼される人物でしたが、ある日夢枕に1人の童子がたち、お告げをしてきました。

 

「武明よ、そなたは日頃からよく誠を尽くしておる。まもなく、その功をみとめられ東方、寅の方角に領地を得るであろう」

 

翌日、目覚めてみるとお告げは見事に的中していました。

日頃の忠義と功績が認められ、東方にある千駄ヶ崎の地一帯を支配させる、という報せが届いたのです。

 

喜んだ武明はさっそく屋敷を建てようと、供の者を連れて千駄ヶ崎の中へと入っていきます。

そして、頂上に大きな榊の木を見つけ、駆け寄って見上げたところ、枝になにか白いものが引っ掛かっているのを見つけました。

 

武明はこれを手に取ると、それは見るも立派な白狐の尾だったのです。

 

武明はたいそう驚きましたが、大切に持ち帰って社に祀り、これが後に千駄稲荷と呼ばれるようになった、との事です。

 

この千駄稲荷は、昭和15年頃までは地域の中心的な存在でした。

毎年2月の初午の日、この東地区では子供達があつまり、「いなりっこ」の太鼓を打ち鳴らしながら高張提灯を高く掲げ、それを先頭に行列を成してお祭りをする習慣があったということです。

 

しかし、昭和16年(1941年)に横須賀海軍病院野比分院(のちの野比海軍病院→国立久里浜病院)が作られることとなり、この千駄稲荷も移転を余儀なくされました。

 

「YRP野比駅前商店街」の発行するウォーキングマップによれば、現在のパシフィック・ホスピタル駐車場の入り口付近に移転した、となっていますが残念ながらそれらしいものは発見できませんでした。

 

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いま、この駐車場の前からのぞむはるかなる海を眺めていると、かつてこのあたりに時代の流れに翻弄されてきたお稲荷様があったのかも知れない、という事がにわかにおもいだされてくるようで、今では見つけることすら叶わなくなってしまったお稲荷様の祠に、どこか望郷の念に近いものを抱き、しばしそこで感慨にふけったのです。

 

※この千駄稲荷、みうけんは見つけることができませんでしたが、もし現存しているのであればその場所を添えてコメントで教えていただけると大変助かります!!

 

 

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