綾瀬市の早川というところは山深いところで、いまでも昼なお薄暗く、人けの少ない寂しいところです。
しかし、このような所でも原付で走り抜けていくのは楽しいもので、道端に積もる落ち葉を巻き上げながら、スロットルをふかしていきました。
しばらくいくと、ちょうど綾瀬西高校と東名高速道路の間に、五所神社と呼ばれる神社があります。
気をつけていないと通り過ぎてしまうような小さな神社ですが、このあたりでは昔から大切にされてきた、由緒正しい神社でもあります。
この五所神社については、江戸時代後期に編纂された一大歴史資料である「新編相模国風土紀稿」にも記載されています。
高座郡澁谷庄早川村の項で、
五社明神社
地神五座を祀る。故に此名あり。神体は倶に木像。村の鎮守なり。
例祭九月十五日。社地の形状古は亀に肖たるをもて亀居山と呼べりと云。
今も社後に尾ノ井と号する御手洗池あり。是亀ノ尾ノ井の略語なり。
と記載されているのです。
江戸時代にはすでにあった御手洗池、尾ノ井は社殿の裏に確かに残されています。
実際に近づいてみると、小さくてナンの変哲もない池ではありますが、この場所で、ずっとこうして人々の生活を見守ってきた池であることは疑いようもありません。
脇にはしっかりとした説明看板があります。
尾ノ井
五社神社の境内の形が亀の形に似ており、池がその尾の位置にあるので、 亀ノ尾ノ井が尾ノ井と呼ばれるようになりました。
高い所にある湧き水の池で、古くは飲み水になったり、田の用水になったり、雨乞行事に用いられたりしました。
また、これにまつわる昔話なども伝えられています。
平成三十年一月 綾瀬市教育委員会
このことから、雨乞いを必要とするような日照り続きの時も、ここの水だけは不思議と涸れなかったのではないか、と想像することができます。
もしそうであれば、この池の水はますます、村の人たちの命をつなぐ、大切な水だったのでしょう。
なお、ここに記載されている昔話がどういったものか、いろいろ資料を探しましたが見つけることができませんでした。
綾瀬市には、そのあたりも書いておいていただけると有り難かったのですが。
現代では蛇口をひとひねりすれば、水なんてものはいくらでも出てきます。
ありがたいことに、給湯器があれば冬にはお湯になって出てきたりもします。
そして、その現代日本の水道水をそのまま飲んだとしても、ほとんどお腹を壊すこともないですし、命を失うこともありません。
今では当たり前の事ですが、ほんの数百年前は水というものはまさに「いのち」をつなぐものであり、その水をめぐって村同士の争いになったり、命を奪い奪われる戦になったりもしました。
現代でも、発展途上国などでは水1杯を汲むのに何十キロも歩き、その水を飲んで命を落とす子供たちがたくさんいるといいます。
いま、ここ早川の山裾に立ち、遠くに広がっていく近代的な街並みを眺めていると、かつてこの小さな池をめぐってたくさんの人々が水を求め、池をあがめ、毎日の生活をつないでいた日々のことがそくそくと思い出されるかのようです。
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