みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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和田朝盛家臣のあしあと 路傍の馬頭観世音(三浦市)

どこまでも続いている三浦海岸沿いを走る国道134号線という道路があります。

 

海沿いを走る風光明媚な道路で、みうけんのツーリングの定番コースなのですが、この道から三浦海岸駅近くの「諏訪神社入り口」の交差点へと入り、山側へ向かって原付をギュンギュンと走らせていきます。

 

すぐに京浜急行のガードをくぐり、どこまでも行った突き当りが武上宮田線との交差点ですが、その脇に八基の庚申塔があり、その左側の端に「馬頭観世音」と大書された石塔が一基見られます。

 

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もともと、三浦半島というところは他地域に比べても格段に庚申信仰が盛んだったようで、庚申塔も数多く残されていて、これらもそのうちの一つにすぎませんが、この中で特に気になったのが、この左端の馬頭観世音の石塔です。

 

ひとくちに馬頭観世音といっても、やはりその石塔は三浦半島にはきわめて多く残されており特段珍しい物ではありません。

 

その多くは江戸期に作られたものなので、牛馬の類を供養するために建てられたというのが一般的なようです。

 

本来、観世音菩薩さまの「観世音」とは、「世間の人々の救いを求める声(音)を観じると、ただちに救済の手を差し伸べる」という意味をもっています。

 

そのあたりは観音経とも呼ばれる「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」をよく読み解いていくと、その世界観は余すところなく描かれています。

 

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かつて、浄土教においては念仏によって功徳を積んだ人は、死んでからも阿弥陀如来に導かれて極楽浄土へと生まれ変わると信じられてきました。

 

これを「往生者」といって、極楽往生という言葉はここから生まれましたが、その際に往生者の魂を蓮の台に乗せて運ぶのが観世音菩薩ともされていました。

 

観世音菩薩は聖観世音菩薩が基本の形ですが、その役割に応じて変化観音というものが生まれ、その種類は千手観世音、如意輪観世音、十一面観世音などさまざまです。

 

そのうちのひとつが馬頭観世音であり、身体は人間、頭は馬という姿をした観世音菩薩の一形態だったのです。

 

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それが時代と共にだんだん変化していき、やがて民間信仰の代表的な尊格となり、馬などの家畜を守る仏として信仰されるようになったという事です。

 

その多くは農耕、運輸、交通に使役された動物たちの霊を慰めましたが、最近でも競走馬や家畜の霊を慰めるために全国各地で馬頭観世音は信仰されているのです。

 


さて、ここにある馬頭観世音は、側面を見ると道標としての役割も担っています。

それはひとえに、交通の安全を託されているということの証左でもあるのです。

 

石塔の正面には堂々とした「馬頭観世音」の文字の陰刻を中心に据え、左脇には「従是(これより)南、三崎道」、右脇には「従是 横須賀道」とあります。

 

また、「是より丑寅武山道」とも読み取れます。

丑寅」とは現在でいう北東の方角なのです。


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このように、交通安全と牛馬の供養、見守りを託された馬頭観世音は三浦半島にはたくさん残されています。

 

この馬頭観世音の台座には「初声村、高円坊中」とありますが、この中の発起人に名を連ねている鈴木氏、加藤氏、川名氏、金崎氏などはこの辺りに住んだ和田義盛の孫、和田朝盛の家来の末裔であると思われます。

 

 

かつてここに生きた和田朝盛の家臣たちは、こうして高円坊の地を守り続け、今に至るまでその名を残し続けていることに感動すら覚えます。

 

和田朝盛が亡くなってから、いったい何年の月日が流れた事でしょう。

 

すでに武士の世は終わり、日本という国も、日本を取り巻く世界環境も大きく変わり、人々の暮らしも様変わりして久しいですが、今でもこうして高円坊に生きた武士たちの栄枯盛衰のことわりを路傍の石仏から感じ取ることが出来るのです。

 

 

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