みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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平和な油壺に悲哀を伝える ヨット事故の碑と特攻隊基地(三浦市)

三浦道寸義同公と三浦荒次郎義意公率いる三浦一族が北条一族に攻め落とされた悲運の地、油壺を訪れました。

 

義士塚やなもた坂のあるところから油壺のマリンパークへとまっすぐ進む油壺線という道をそれて南側へ行くと、油壺の半島の付け根の所に油壺公園というところがあります。

 

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この油壺公園は海に面しており、かつては三浦水軍の拠点ともなった場所です。

現在、入り江には数えきれないほどのヨットが居並ぶ風光明媚なところで、夏にでもなれば三浦半島でも有数の海洋レジャーの聖地ともなっています。

 

この時は冬でしたので人出はほとんどありませんでしたが、それでも時折ヨットを手入れする人たちの姿がありました。 

 

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さて、視線を油壺公園に戻してみると、公園の真ん中に円柱形の石で出来たモニュメントが飾られているのが見て取れます。

これこそが、昭和37年(1962年)11月3日に開催されたヨットレースでの事故の犠牲者を慰める慰霊碑だということです。

 

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史料によると、昭和37年11月3日の夜に、相模湾でヨットレースが開催された日の事です。

その日は43隻の大型ヨットが参加しましたが、突如巻き起こった突風により慶応義塾大学の「ミヤ号」(4人乗り組み)と早稲田大学の「早風号」(6名乗り組み)が行方不明となり、さらに他のヨットの乗組員も1名が波にさらわれてしまったのです。

 

ただちに大学関係者、他の選手、自衛隊消防団、消防署、海上保安庁、さらに漁協まで繰り出して懸命の捜索が行われましたが発見することはできなかったという事です。

合わせて11名の犠牲者を出したこの事故は大いに報道され、有志達の手によってこの慰霊碑が建立されるに至ったという事で、この慰霊碑の表面には真白いヨットの絵の下に

 

この小網代をスタートして

われらは進んだ 永遠のレースへ

吹きつのる風 おしよせる波

最後まで 力を尽してたたかった

あの水平線のかなたは われらのしとね

海を愛する人々よ 忘れないでくれ

海のきびしさ 海のやさしさ 

そして、海を愛するこのわれわれを

 

と陰刻されているのです。

 

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ところで、このあたりの斜面を見ながら歩いていると、所々に横穴が穿たれたものをふさいだ跡が見受けられます。

 

高さ2メートルはあろうかというトンネルが、コンクリートブロックやセメントでふさがれているのを海岸沿いに十数カ所は確認でき、実際はもっとたくさんあるのでしょう。

 

これは、戦時中に本土決戦にそなえた特攻隊の基地があった名残であり、公園に面したものは穴がふさがれていますが、森の中に入っていくと開口したままのものも残されています。

 

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特攻隊というと、爆弾を積んだ飛行機で連合軍の軍艦に突っ込んでいった神風特攻隊が有名ですが、こちらの特攻隊は爆弾を積んだ潜水艇「海龍」で敵艦に体当たりして、自艦もろとも爆沈するといったものです。

 

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Vessel And Ships Photo Gallery より)

 

この油壺周辺にはこのような「海龍」の基地があり、いまでもこうして格納庫が残されています。

少し中に入ってみましたが、水たまりになっていたので奥へ行く気にはなれませんでした。

実際はずっと奥まで続いていて、いくつもの格納壕が中でつながっているらしいです。

 

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いま、この油壺の平和な入り江を散策していると、かつて三浦一族の血糊で真っ赤に染められたという油壺の入り江の奥に、常に生死の境を生きた特攻隊の思い出がよみがえり、また平和になった戦後においても痛ましい遭難事故があったというのが夢物語のように思えてきます。

 

しかし、この油壺周辺には時代と共に変遷しながらも、海と共に生き、海の中に還っていった男たちの生きざまが確かに刻みつけられて、いま平和に居並ぶヨットの群れにもその慟哭と無念が刻々と伝わっているかのような感傷に襲われるのです。

 

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