みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※記事は基本的に毎日18時に更新です。

日蓮上人と七面天女の一大絵巻 延寿寺本堂の大絵馬(三浦市)

神社や仏閣を見て回っていると、必ず目にするものがあります。

「絵馬」です。

 

今では小さな絵馬を買い求めて願い事を書き込み、神前に奉納するのが一般的ですが、かつては大絵馬というものがあり、日本画の絵師たちによって盛んに描かれたものが数多く奉納されました。

 

その願いは五穀豊穣や疫病退散、商売繁盛といったものが多く、ひとりの豪商が奉納したものもあれば村人一同がお金を出し合って奉納したもの、中には港北区新羽町の蓮華寺のように村人が手作りして奉納したものもあり、今でも全国の神社仏閣にはさまざまなものが残されています。

 

さて、三浦市の初声町下宮田にある日蓮宗寺院で、「下宮田の鬼子母神さま」としても知られる「寿福山 延寿寺」にやってきました。

このお寺のご本尊さまは釈迦如来さまと多宝如来さま、右手には木像の壽福大黒天さま、左手には鬼子母神さまが祀られています。

 

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このお寺は日蓮宗の高僧であった日朗上人の弟子である日範上人が鎌倉時代の弘安7(1284)年に開山されたのが始まりですが、「寿福山 延寿寺」という名前は、この日範上人が100歳を越える大長寿を全うしたことからつけられた名前で、現在も本堂前には日範上人お手植えの松の古木が残されています。

 

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さて、この本堂内に飾られた大絵馬は2メートルにも及ぶという大きなもので、身延山七面天女示現をあらわしたもので、明治6年に浮世絵師の二代目 歌川国鶴【うたがわ くにつる、嘉永5年(1852年)~大正8年(1919年)】によって描かれた貴重なものとされています。

 

二代目 歌川国鶴の本名は「和田官之助」というそうですから、三浦半島になにか縁があった人物かもしれません。

 

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さて、身延山七面天女示現とはいったい何でしょう。

建治3年(1277年)、日蓮宗の宗祖日蓮上人が日蓮宗の道場として栄えた身延七面山で法座石に座っての説法中、どこからか妖しげな美女があらわれ、「どうか一滴の水を恵んでください」と懇願しました。

 

日蓮上人がさっそく花瓶から水を与えたところ、日蓮上人の持つ鏡に鬼の顔が写り、たちまちにして雲が乱れて雷鳴がとどろき、護法の神となると言い残した美女は大蛇に姿を変えて、飛び去ったのだといいます。

 

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なるほど、この絵馬の下の方には日蓮上人を誹謗していた一団が恐れおののく姿が描かれて、それを鎮めようとする者の躍動感と相まって実に臨場感あふれる作風に仕上がっているのです。

 

しかし、やはりスマホのカメラでは撮影に限界がありますね・・・。

いよいよ、デジタルカメラを買う時が来たか。

 

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やがて、この伝説から七面天女日蓮宗の守護神として身延山久遠寺の山奥に祀られ、こんにちには愛と財をなす神様としても信仰されて全国の日蓮宗寺院に祀られるようになったという事です。

 

せっかくですので、三浦七福神の大黒さまの御朱印をいただきました。

現在は大黒さまの書置きの御朱印のみで、「南無妙法蓮華経」の御首題の授与はされていないようです。

 

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いま、この本堂内にたたずんでこの大絵馬を眺めていると、数々の法難を乗り越えて布教に努められた日蓮上人の御遺徳と、それを守ろうとする七面天女が織りなした一大絵巻が目の前に蘇るかのようで、ここにも日蓮宗という教えの奥深さ、三浦というところの歴史の面白さを実感したのです。