みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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いまなお伝わる八景原と神明社の逸話 宮川村旅情(三浦市)

三浦半島の先端、三浦市宮田町の通称「八景原」というところがあります。

 

このあたりは海に面する断崖絶壁で、三崎遊郭に売られた遊女が逃げ出して身を投げたことから、一時期は自殺の名所とされてしまい近寄る人はあまりいませんでした。

 

現在は、その遊女たちを哀れに思った人たちにより海に面した断崖の上に供養塔が建てられていますが、徐々に草木に覆われてしまい車も停めづらい事から、訪れる人もあまりないようです。

 

 

近代に活躍した詩人北原白秋は、その短い生涯のうちに三浦半島に転々と居を構えました。

 

野上 飛雲氏が昭和51年(1976年)に著した「北原白秋―その三崎時代 」には、この八景原について、以下のように表現しています。

 

絶壁を吹き上げる風も 女の呻(うめ)き声に似たり

礁に蠢(うごめ)き寄る白波にも 陰惨さが加わり

磯鴨の声に 物あわれが漂う一面がある

 

 

北原白秋は大正2年(1913年)、夫人(のちに離婚)とともに三崎に転居してきて暮らし始めます。

 

有名な作品「城ヶ島の雨」はこの頃の作品ですが、三崎での生活はあまり長続きはしなかったようです。

北原白秋が、この時に八景原を訪れては、

 

 八景原 春の光は 極みなし

  涙ながして 寝ころびて居る

 

 八景原の 崖に揺れ揺れる かづらの葉

  かづらに照る あきらめきれず 

 

という歌を詠んでいます。

 

当初は自殺まで考えてこの八景原を訪れたという北原白秋ですが、三崎での滞在の中で繰り返し八景原を訪れることにより、次第に自殺への願望は消えていったのかもしれません。

 

後日、

 

 あまつさへ 日はうららかに 枯草の

  ふかき匂ひも ひとにきかなや

 

という、落ち着いた心境の歌を残して三崎を去り、10年後の大正12年に再度八景原を訪れています。

 

さて、こんな悲しくも隠れた歴史がある三浦市の宮川町ですが、江戸期に編纂された一大歴史史書である「新編相模国風土紀稿」の「三浦郡 衣笠庄 宮川村」の項には、新編相模国風土紀稿が完成した天保12年(1841年)前後で75軒の家屋がありました。

 

その一方で、「三浦郡 衣笠庄 三崎町」は597軒というから、ずいぶんと大きな開きがあったのです。

 

当時は寒村だった宮川村ですが、その鎮守様である神明社は今でも大切に守られ、継承されています。

 

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昭和10年(1935年)に発行された「三浦郡神社由緒記」での説明によると、もともと三崎という地には伊勢国、現在の三重県から移住して来た人たちが多く漁業を営んでおり、特に海女には伊勢国の出身者が多かったようです。

 

伊勢国伊勢神宮もありますから、信心深い国民性(現在でいうところの県民性)だったのかもしれません。

 

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彼らは直ちに神明社を祀って自らの守護神とし、多くの崇敬を経てとうとうこの宮川の鎮守になったものと言われている、とあります。

 

なろほど、この神明社の祭神は伊勢神宮の内宮の主祭神天照大神であり、その脇には伊勢神宮の外宮の祭神である豊受毘売命(とようけひめのみこと)が祀られているのです。

 

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この神社は多くの崇敬を経た事は先にも述べましたが、その様は

 

山間の丘上 平垣なる地に鎮座して社境幽邃清閑にして、社殿は流造りにて新しい建築である。近郷の崇敬を聚めて、参賽絶えたることなしといふ。

 

と紹介されていることから、そのかつての賑わいぶりが目に浮かぶかのようです。

 

境内の手洗鉢や灯籠の寄進者は明治時代のもので比較的新しい印象を受けます。宮川村の宮川庄右衛門という人が寄進したものだそうで、代々ここに続いた名族だったのでしょう。

 

注意深く神殿を眺めると、その屋根瓦の上には見事な獅子や、神紋を入れた鬼瓦、花を象った飾り瓦などが据えられています。

 

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これらの造形はなかなかに見事なもので、誰が寄進したのか、誰が作ったものかはわかりませんが、この神明社が村人たちから受けた厚い崇敬が伝わってくるかのようです。

 

むかし、この神社でも賑やかに祭礼が執り行われて来たことでしょう。

幼子を連れた親子連れが子供を肩車し、ほら、屋根に獅子がいるよと見せて回ったかもしれません。

 

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夏も終わりに近づいたいま、ひとり神殿の屋根を見上げてはそんな事を想像していると、かつてこの宮川村に生きて来た人たちの絶え間ない信心と、神様を愛し敬う気持ちが今なお伝わってくるようで感慨深いものがあるのです。

 

 

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