海老名市の国分というところに、臨済宗建長寺派の瑞雲山 龍峰寺(ずいうんさん りゅうほうじ)というお寺があります。
ここにはかつて「清水寺」(せいすいじ)というお寺があったために、その名前は「清水寺公園」などの名前となっています。
この清水寺は、国分の里人からは「お観音さま」「水堂」と呼ばれて親しまれていました。
その仁王門の前には、今から120年ほど前まで巨大な松の老木が生えていたといいます。この松は枯れてしまい今はありませんが、「竜灯の松」と呼ばれて村のシンボルとして永く崇められていたといいます。
元々、この近くには目久尻川をせき止めて作った溜め池があり、そこから流れる水は滝のようになって下流へと流れて行っていました。
この溜め池には一匹の竜が住んでおり、竜は毎晩毎晩、夜になると清水寺に行っては大きな松の一番高いところへと登り、仏様の教えを示す燈明を掲げて観音様を讃えていたといいます。実に信心深い竜だったのでしょう。
それを見た村人達は何と有難い事かと感激し、この松を「竜灯の松」と呼んで大切にしていました。
そんなある年の事、遠くは茅ヶ崎の漁師が漁に出たとき、突如天候が変わって大しけとなり、舟は沖へ沖へと流されて行きました。
漁師は力の限り舟をこぎますが、いっこうに陸地には戻れず、しまいには夜も更けて陸地がどの方角かすら分からなくなってしまいました。
すっかり諦めて座り込んだ漁師でしたが、日ごろ信仰していた水堂の観音様がお姿を現すやいなや、観音様は
「そなたの日ごろからの信心にめんじて、助けてあげましょう。あそこに見える松の木の灯りを目指してこぎなさい」と、竜灯の松を示したのです。
我に返った漁師は、観音様の有難い教えを頂いたことを励みとし、力の限り舟をこぎ続け、北のかなたに見える竜灯の松を目指しました。
そして、気が付いたら無事に陸地に着いていたという事です。
時代が流れた現代、竜灯の松の木は失われて跡形もありません。
しかし、この言い伝えは永く人々の中で語り継がれて、観音様の妙智力を今に伝えているのです。