みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

愛車はヤマハのシグナスX。 原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。
風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。
※いままではカタい文章の書き方でしたが、徐々に改めていきます。

国の境で数々の伝説を生み出した 権太坂の境木地蔵尊(横浜市保土ヶ谷区)

横浜市を南北に縦断する大動脈に環状2号線というものがある。

この環状2号線の「環2境木」という交差点を折れて海側に入っていくと、やがて境木地蔵尊と呼ばれる静かな地蔵堂に辿りつくことができるが、この地蔵尊はいまでも地域の方々から篤い信仰を受けている。

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この境木地蔵尊には不思議な言い伝えが残されている。

昔昔、鎌倉の腰越の海は色々な魚が豊富に取れる漁場であったが、幾日も続いたしけのせいで、漁師たちが海に出られない日々が続いていた。

そんなある日、海岸に人が打ち上げられたという話が出て、生活に困窮して無理に舟を出した我が村のものかもしれぬ、とばかりに村人たちは急いで浜に向かったのである。

 

しかし、そこに横たわっていたのは人ではなく石で出来た地蔵さまであった。

村人たちは、なんともったいない事と力を合わせて起こそうとしたものの、地蔵はビクともせず、村人を総出で繰り出してやっとの事で浜に一番近い村人の家に安置する事となったのである。

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この村人は、我が家に地蔵様が来たのも何かの縁とばかりに、ねんごろに花をあげ、手を合わせてから眠りの床に就いたが、その晩すぐに夢枕に地蔵が立って

 

「わしを江戸へつれていって欲しい。以前にも由比ヶ浜に打ち上げられた時、誰かが江戸に連れて行ってくれないかと待っていたのだが、また大波が来て海へ流されてしまったのだ。牛車に乗せて連れて行ってほしい。もし、牛車が動かなくなれば、その地へ祀って欲しい。さすれば、腰越の荒波をきっと鎮めてあげましょう」

 

と告げられたのである。

 

村人は大慌てで村中を駆け回り、眠りの床に就いていた村人たちを長老の家に集めると、この話を村人たちに話して聞かせた。

喜んだ村人たちは、翌朝になるとさっそく地蔵を牛車にのせて江戸へと向かった。山を越え、坂を越え、川を渡って東海道を上り、いよいよ武蔵の国に入ろうかという時に牛車が動かなくなったのである。

 

牛車が動かなくなれば、その地へ祀って欲しい」との夢のお告げにしたがって、村人たちは、このあたりの境木村の人にお願いしてこの地に祀ることにした。

これが今の境木地蔵尊の起りだという。

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それから数日たつと腰越の海は、うそのように波が静まり穏やかとなって、ひとたび漁師が舟を出せば驚くばかりの大漁が続いた。

また、境木村でもかっけの病で苦しんでいた人がこの地蔵様にお参りしたところ、その病が瞬く間に治ったので江戸でも評判となり、連日たくさんの参拝者が行列をなして茶店まで軒を連ねる賑わいぶりであったという。f:id:yokohamamiuken:20190920184720j:image

 

また、別の伝説ではこの地蔵尊大入道に化けたという伝説も残されている。

かつて、まだ街灯も懐中電灯もなかった時代、この辺りは夜ともなれば一面の闇に覆われ、その中には追い剥ぎや強盗が出ては旅人たちを脅かしていた。

 

ある日、夕暮れに差し掛かったこの辺りを一人の商人が旅装束で歩いていた。

そこへ強盗の群れが出てきて商人に匕首や刀を突き付けたのだからたまらない。

商人はすっかり青ざめ、身のものをすべて投げ出して命乞いをしたのである。

 

強盗がその荷物を手に取ろうとした時、「待て」という雷鳴のような怒鳴り声とともに、見上げるばかりの一つ目の大入道が出てきて強盗を睨みつけた。

これに仰天した強盗はほうほうの体で逃げていくと、商人がお礼を言うが早いか大入道は煙のように姿を消してしまい、そこには今までなかった地蔵尊がぽつんと残されていたたという。

 

この話は東海道を通う旅人の間で瞬く間に広がって、それから境木の地蔵尊は「泥棒よけ」のご利益があるとして、さらに参拝者が絶えることはなかったのだという。

 

この境木の由来は、かつて武蔵と相模の国の境に木の杭があったことから境木という地名が付いた、と聞いた事がある。

現在、この境の木杭を模しモニュメントが建てられ、急坂をのぼり切った所には境木地蔵尊ケヤキの大木が木陰を作っている。

往時は、このケヤキの大木のあたりには茶屋が立ち並んで、旅人たちが腰を下ろして疲れを癒したのだという。

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この、西には富士を、東には江戸湾を望むことが出来たという境木のあるところから、はるか眼下に望む横浜の街並みを眺める時、かつてこの坂を往来した旅人たちの艶姿がよみがえるようで、感慨もひとしおである。