みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのJog・CE50。時速30キロで見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

突如として街中に現れる旧帝国海軍の標柱(海老名市)

ある日、海老名市は大谷というところを原付でチャリチャリ走っていて、ふと住宅街の一角にあるゴミ集積所に目が止まった。


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写真のとおり、普通ならば何も意識せずに通り過ぎてしまうような小さなゴミ集積所なのだが、その片隅にあり、とても気になったものがこちら。


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コンクリートの標柱に、波型の二重線と「海」の文字。

そう、これはこの地が旧帝国海軍の軍用地であったことを示す土地の境界標柱なのである。


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けっこうしっかりした大きさがあり、上質のコンクリートであることを示す手触り。まだ日本に物資が潤沢にあった頃のものであろうか。

その脇には、「水」の字にだけ趣向を凝らした「水道局」の標柱。


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裏手に回ると、横須賀市の文字が陰刻されているのがわかる。ここは紛れもなく海老名市のはずなんだが?


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ふむふむ、これは何ジャラホイと調べてみましたら、やはり興味を持った先輩たちがすでに色々調べて下さってました。さすがだなぁ。

 

どうやら、これは帝国海軍の横須賀基地上水道を供給すべく建設された「横須賀水道」というものの名残なんだそうです。

 

この横須賀水道は日露戦争に勝利した日本が急速に軍備を拡張していくにつれて横須賀軍港の艦船給水、工廠用水などの需要が高まったことから、帝国海軍・横須賀鎮守府が軍港専用の水道として建設を計画したものとされています。

 

明治45年(1912年)、相模川から分かれる中津川に取水口を設置して、川の水を横須賀市の逸見浄水場まで運ぶために建設されました。

 

工事は順調に進み、大正7年(1918年)には一部で開通、水道の運営が開始されると大正10年(1921年)には全面的に完成して軍港横須賀の水の需要を担ったのであるが、昭和20年に帝国海軍が解体されてからは横須賀市が運営し、軍港から横須賀市民へと利用者を変えて親しまれたのだといいます。

 

しかし時は流れて平成13年、 取水口の上流に宮ケ瀬ダムが建設されると役目を終えて休止となり、そのまま平成27年に廃止されてしまいます。

 

その送水管を敷設した道路である「横須賀水道みち」は現在も多く残っていて、綺麗な一直線を描いて街中を縦断していますが、その水道道をたどると数多くの海軍氷柱が残されているようで、この標柱もそのうちの一つなんだそう。


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この周囲には、現在でもいくつかの海軍標柱が残されています。


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着々と開発されていく住宅地の中にあり、徐々に宅地開発の波や落ち葉に埋もれて行ってしまっていますが、ここでもかつて日本に軍隊と戦争があった事を物語っています。