海老名市の有馬浄水場の南西がわ、中河内の里には貴日土神社という神社があります。
地元の方に崇敬されるばかりのこぢんまりとした神社ですが、大東亜戦争(第二次世界大戦)の際には陣地が構築され、そのために移転した鳥居についての石碑が残るなど、ここも人知れずして歴史を秘めてきた神社であるようです。
その貴日土神社の脇を走るゆるやかな坂を、地元の里人たちは「わかれ坂」と呼んでおり、その途中にはいまなおいくつかの石塔や地蔵尊が残されているのを目にすることができます。
また、この脇には「吾妻坂」の説明柱があり、そこにはここから掘り出された石仏が吾妻山本覚寺に納められたことから付けられた名であること、別名「泣きわかれ坂」とよばれ、悲しい悲話が秘められている事が説明されています。
この坂に伝わる伝説のひとつに、盗みをいさめたお地蔵さまのお話があります。
むかし、この土地にとても貧しい親子が住んでいました。
その時、何年もの不作が続いたことによって飢饉になり、当然親子の食べる物すら無くなってしまったのです。
あまりの空腹のあまり、すでに泣く気力すら無くした子供の姿を見かねた父親は、近くの畑で作られていた芋に目を付けました。
夜陰に紛れて子供を連れてきた父親は、我が子を見張役として立たせると、まずわかれ坂のお地蔵さまに立ち寄って手を合わせたのです。
これより、よそ様の畑に入り芋を拝借いたします。
悪いことではあると重々承知ですが、もうこれ以上この子を放っておくこともできません。
どうか、誰にも見つかりませんように────。
この父親は、あろうことがお地蔵さまに窃盗祈願のお願いごとをしたのです。
すると、周囲は急に明るくなりました。
それまで空を覆っていた雲が晴れて、月がいつもより明るく輝いたのです。
その月明かりに映し出されたのは、姿をお地蔵さまに変えた我が子でした。
お地蔵さまは静かに話し始めます。
お前がしようとしていることは、私も月も見ているのだ。
もちろん、お前の子供も見ているのだ。
お前自身が「悪いこと」という行いを、誰からも隠し通せるものではないぞ────。
父親はすっかり驚いて、しばらく口を開けたまま震えていましたが、やがて元の姿に戻った我が子の手を引いて家に逃げ帰り、それからは心を改め、どんなに貧しくても人さまのものに手をつけようという考えは起こさなかったということです。
その年は、何とか親戚の家をめぐって少しずつの食糧を借りて命をながらえました。
翌年もひどい飢饉が続きましたが、どういうわけかこの親子の畑だけが豊作だったということです。
この父親は、これはお地蔵さまのお恵みものであると言いながら村の人々に作物を分け与えて回り、たいそう感謝され、その仁徳は長く語り継がれたという事です。
いま、このわかれ坂は通る人もまばらで、夜にでもなれば真っ暗な淋しい道ですが、かつて親子や村人たちがお地蔵さまに手を合わせたころの面影をわずかに残しているかのようです。
いま、このお地蔵様の前にひざまづいて香華を手向け、手を合わせていると、やせ衰えた子供の手を引いた父親がお地蔵さまに諭されて憔悴するさまが目に浮かぶようで、ここにも昔の人々の信仰心を思い起こしたのです。
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