以前、「 漁師と九尾狐の悲哀を今に伝える きつね浜の伝説(三浦市)」という記事を書いたことがあります。
まだ新井城があったころに、三浦荒次郎義意が海に向かって矢を試しうちしていたころ、たまたまこの近くに住みついていた九本の尾を持つ大きな老狐に当たって死なせてしまった、という民話でした。
その記事の中で、
この狐塚は現在も真新しい石碑が立てられて、「ぐみが作」と呼ばれる台地上の畑の中にいまでも鎮座されているということであったが、畑は個人の所有地なので許可もなく分け入ることはしなかったために詳しい場所までは知ることが出来なかった。
と記載してありますが、最近になって読者の方から「きつね塚は道路に面しており誰でも見学できる」ことと、詳しい場所を教えて頂けましたので早速行ってまいりました。
さっそく、名向小学校のバス停の所から西側へと登っていく細い坂道を原付で駆け上がり、油壷幼稚園の前を通り過ぎて農道を進んでいきます。
このあたりはこれといった目印も何もなく、今回はGoogleマップの座標まで親切に教えて頂いたので無事にたどり着きましたが、そうでなければかなり迷ったものと思われます。
どこまでも続く青空の下には、やはり同じようにどこまでも続く農地が広がり、遠くに米粒のように小さく見える人たちが腰をかがめて農作業しており、その上にはトンビがゆうゆうと弧を描いて滑空しています。
まさに、三浦半島の牧歌的な原風景そのままです。
その農地の片隅、本当に道路に面したところに小さな石碑がぽつんと建てられていました。
下の写真でお分かりになりますでしょうか。
ちょうど、ネコ車がさかさまに伏せてある右手にあります。
この、前方に富士山を望む風光明媚な所は昔から「ぐみが作」と呼ばれる高台で、景勝の地としても良いところだと思います。
この辺りには立派な大島桜の木も植えてあり、春の満開の盛りに来ればさぞかし見事な事でしょう。
その中にある、この真新しく白い石碑にははっきりと「狐塚」と陰刻されています。
この狐塚の石碑がいつ頃作られたものか、まったく見当もつきませんが、まだ最近の事と思います。
かつて、ここの近辺を夜ごとに塚が歩き回ったのでしょうか。
この伝説を聞いて、誰も近寄る者はいなかったといいますが、今となってはさすがに塚が動き回ることはないようです。
もしかすると、九尾狐も新しい供養塔を作ってもらえて、心が落ち着いたのかもしれません。
いま、この狐塚に詣でる人はあまりいないと思われますが、今日も狐塚は農地の真ん中にしっかりと根を据えて、日々農事にいそしむ方々を優しく見守っているのです。