京浜急行の終点である三崎口を降り、南側の引橋交差点から義士塚を横目に海に向かう細い道に、名も無き庚申塔の群れがある。
庚申塔自体は三浦半島では何ら珍しいものではなく、文字通りそこらじゅうにある物だが、その中には時として見事なまでに優美な造形やユーモラスな造形のものがあり、現代人の目を楽しませてくれると共に、当時を生きた人々の深い信仰心を感じる事ができる。
この庚申塔群は柵に囲まれ近づけないので建立年代こそ分からないものの、さしたる摩滅もなく綺麗な状態で残っている。
この青面金剛の、ユーモアあふれる翁面のようなお顔の中にはどこか言い知れぬ悲壮感を漂わせ、その反面で今まさに青面金剛に踏みつけられた邪鬼の少しおとぼけた姿がよりいっそうの楽しさである。
こちらの庚申塔はしっかりと合わせた手がその揺るぎない信心の深さを象徴しており、またわずかに見つめる足元にはしっかりと邪鬼が描かれており、その邪鬼の悔しいやら悲しいやらという心境がこちらにも伝わってくるようで奥が深い。
他にも数基ある庚申塔はどれもが特徴的であり、いくら見ていても飽きの来ないものだが、人の体内に住み、この世の悪事を閻魔大王に報告する三尸(さんし)の虫を封じるためと朝まで語り明かした村人たちにとっては、庚申供養の夜はなかなかない一大イベントであったろう。
これらをはじめ、路傍に佇む馬頭観音や庚申塔、観音像や地蔵などはどれも歴史の片鱗にも名を残さぬ無名の石工たちの造作であるが、当時の人々が一途な信仰心のもと一心に石を掘り続ける姿を思うとき、現代では失われてしまった見えないものへの畏敬を思い起こさずにはおれないのである。