京浜急行三浦海岸駅の駅前の通りを南下し、三浦海岸の交差点から海沿いに南下していく道がある。
この道をずっと進んでいくと、以前紹介した「蛭田の鼻の狙撃用洞窟陣地」が見えてくる。
この「蛭田の鼻の狙撃用洞窟陣地」をぬけて少し行くと、左手の海に突き出した高抜の出鼻があり、この出鼻を通称「暮景崎」(ぼっけざき)と呼んでいる。
この暮景崎は、三浦海岸の海岸線に突き出るようにしてあり、この出鼻からさらに南に向けて、風光明媚な白砂と貝殻の砂浜が延々と続き、その浜は雨崎の近くまで続いている。金田湾である。
この暮景崎の先端には小山があり、現在はトレーラーハウスを据えた別荘地の敷地となっているが、この小山の上には航海の安全を見守った金毘羅様の小さな祠が今でも残されているのである。
(写真は管理をしていた方の許可を得て撮影している)
暮景崎の由来には諸説あるが、かつて源頼朝が一族郎党を率いて狩りを楽しむ道すがら、たまたま夕方のこの岬を通りかかった。
風光明媚な海岸に真紅の夕焼けが落ちるその美しさにすっかり心を奪われた頼朝は、この地に暮景崎という名を与えて、その後も定期的に遊覧したという民話が残されている。
現在はすっかり崖を切り開いて立派な道が通り、そんな伝説など気にも留めぬかのようにスピードを上げて通り過ぎていく車の砂埃を浴びながらも、その小山は残り昔と変わらぬお姿で金毘羅様は海を見守り続けているのである。
昭和中期の資料によると、この地に「ぼつけ」という屋号をもつ家がある、と記されている。「暮」の字の草冠のぶぶんだけで「ぼつけ」と読ませる実に珍しい屋号である、と記されているが現在はそれらしき家はなく、廃業したラブホテルのみが淋しく残されているのである。
いま、誰もいないこの暮景崎の海岸の磯場にひとり立ち、遠くに臨む房総半島を眺めながら潮風を受け、また寄せては返す潮騒を聞いていると、かつてこの地で弓を引きながら狩りに興じた源頼朝公と、また日々の糧にと漁にいそしんだ漁民たち、またその漁民を見守り続けてきた名も無き金毘羅様が歩んできた永い永い時間とともにしているようで、ここにも時の流れのはかなさと無情さを身に沁みて感じるのである。