みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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三浦一族と源家のつながりを今に伝える 平作川の五郎橋(横須賀市)

JR横須賀線衣笠駅久里浜駅のあいだは、線路の下を縫うようにして平作川が流れています。

ここ平作川にかかる五郎橋は、今となっては立派な鉄筋コンクリートの橋となっていますが、かつては木で造られた橋で、一般に「寺ノ下橋」と呼ばれていました。

 

ここから坂を上がったところに妙覚寺というお寺があるところから、このように呼ばれたのでしょう。

  

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「寺ノ下橋」から「五郎橋」になった由来としては、かつてこの近くの岸が「五郎ケ渕」と呼ばれていたと言い伝えられています。

 

この「五郎ケ渕」については、以下のような伝説が残されています。

むかし、三浦一族の首領であった三浦大介義明公が源頼朝を招いて、横須賀の久比里あたりを散策したことがありました。

 

その時、三浦大介義明公の郎党であった岩戸五郎という武士が、漁師から大きな鯉を一尾もらってきて料理をしようとしましたが、何を思ったかそのまま平作川に放ったのです。

  

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川上へ向かって力強く登っていく鯉を見た源頼朝と三浦大介義明公は、その遡上を源氏の再興につなげ、これはなんと縁起のよいことだと大いに喜んだということです。

 

この鯉はしばらく川をさかのぼって行きましたが、鯉がのぼりついた所が現在の五郎橋の近くでした。

その時から、その辺りを「五郎ケ渕」と呼ぶようになった、という事です。

  

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昔はこの平作川はとても水がきれいで、四手網をしばらく入れておけばたくさんのフナが獲れたそうです。

 

かつては川の深さもそこそこあって、関東大震災で川底が隆起するまでは、この五郎ケ渕の下まで船が上ってきて係留されている姿が見られたという事です。

  

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いま、三浦大介義明公と岩戸五郎や源頼朝が生きた時代から千年近い月日が流れました。

 

平作川はコンクリートで護岸され、五郎橋も立派な橋にかけかえられて、かつての面影を留めるものはありませんが、ただ五郎橋という橋の名前だけが往時の伝説を伝え、ここにも三浦一族と源家の深いつながりを物語っているかのようです。

 

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