逗子の海岸から葉山御用邸へと向かう曲がりくねった道は、森戸海岸線といって三浦半島の中でも主要的な道路の一つで、みうけんの原付ツーリングでは必ずと言ってイイほど通る道でもあります。
住宅街と海岸沿いの風景を繰り返す穏やかな道を南下していくと、森戸川の河口のところにあるのが源頼朝遊覧の地として名高い森戸大明神です。
この森戸大明神は、いにしへより三浦相撲でも有名な神社で、すぐ下には雄大な相模灘を擁し、遠くには伊豆を、視点をかえせば鎌倉を望むことができる風光明媚な海岸線の上に鎮座されています。
この神社は鎌倉幕府の設立者でもある源頼朝にも縁がある神社です。
源頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流罪となっていた長い長い月日のおり、三島神社に源家再興を祈願していましたが、治承4年(1180年)の8月の三島神社の祭礼の晩、源頼朝は伊豆で旗揚げをし、相模に勢力をもっていた三浦一族の助力を得て鎌倉に入ったのです。
その後、源頼朝は源家の守護神として崇敬していた伊豆の三島神社を手元に置いておきたいと考え、鎌倉に近く、伊豆を一望できて景観も美しい葉山の森戸に神社を建立したのがこの森戸大明神であるとされています。
この森戸大明神の裏手には、海の上に突き出た奇岩の上に身をくねるようにして立つ樹齢800年(推定)というビャクシンの老木があります。
この木は、源頼朝が三島神社より分霊を招いて森戸大明神を勧請した記念に植樹されたともいわれています。
一説には、三島神社の分霊をしたったビャクシンの苗が、ここまで飛んできて根付いたという伝説があることから、「飛(び)ビャクシン」とも呼ばれて、かながわの名木100選・葉山町指定の天然記念物にも指定されています。
このビャクシンが源頼朝の手植えである、というのは真偽のほどは定かではありませんが、いずれにせよ数百年の樹齢を保つことには変わりなく、このビャクシンは悠々と流れる森戸川の川面に迫り出して美しい情景を見せ、その景観は実に素晴らしきことこの上ありません。
森戸大明神の見所はまだ多く、お話は後編へと続きます。
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