京浜急行の終点である三崎口駅から西北に行くと、富士山の真下にどこまでも広がる相模灘を眺める雄大な景色が広がる浜があり、これが和田長浜である。
現在は和田長浜は海水浴場として有名であり、県内から多くの家族連れが車を横付けして浮き輪を片手に楽しげに歩いているが、その脇の崖ふちにひっそりと鳥居が立ち、その奥に昼なお薄暗い岩窟を見出すことが出来るのである。
この場所は近くにある日蓮宗寺院、近浦山圓徳寺の境内地である。
この岩窟は洞内に無縁仏が並び、今となっては訪れる人こそ少ない寂しい岩窟である。
しかし、この岩窟は高僧・日範上人がこもって修行された「妙法経窟」という岩窟であり、いまでも大切に保存されているのである。
日範上人はもともとは真言宗の僧であった。
鎌倉の松葉ヶ谷で日蓮六老僧の一人、日朗上人と法論の末に日蓮宗に改宗されたとされる。
日範上人は正応3年(1290年)、当地の和田村で日蓮聖人が流された伊豆を遠望できる磯の石窟を見つけると、この地で荒行・誦経・説法を3年間続け、そののちに圓徳寺を開いたのだという。
この岩窟の向かい側には海岸が広がり、写真にはよく写っていないもののはるか遠くに伊豆諸島の島々を見渡すことが出来る。
日範上人が日蓮聖人に弟子入りして間もなく、日蓮聖人は伊豆へと流された。
日範上人は、恋しき師匠の行く末を案じ、朝な夕なにと読経と荒行を繰り返しては、日蓮聖人に思いを馳せたことであろう。
いま、時代は流れに流れて令和となって初めての夏を迎え、海岸には海辺で遊ぶ子供たちの嬌声と、平和そうに旋回するトンビの泣き声だけがこだましている。
いまから800年前には、日蓮聖人を案じながら一心に読経する日範上人の声が絶え間なく響いていたことを思うとき、ここにも時の流れの悲しさを思い起こさせるのである。