風光明媚きわまりない三浦半島を原付で走るとき、ひときわ高い丘の上から穏やかな入江を見渡せる場所がある。
この入江は江奈湾といって、今でこそ静かで訪れる人もまばらな漁港であるが、第二次世界大戦も末期の頃にはボートに爆弾を積んで敵艦に体当たりする特攻隊の基地であり、多くの若者たちが出撃の日を待ちながら訓練に明け暮れ、また訓練の途上では命を落としたりすることもあったという。
我が蔵書には「海軍水上特攻隊震洋」という本があるが、この本は実におすすめである。
この本を読むと、「震洋」というベニヤ板のモーターボートに爆弾を積んだ特攻艇で敵艦に体当たりする任務を負った岩館部隊の秘話が赤裸々に語られているのである。
上記の「海軍水上特攻隊震洋」に従って現代の江奈湾の地図に、当時の特攻陣地が構築されていたところをマーキングしてみると、このようになる。特攻陣地とはいえ実際は簡素な横穴にレールを敷いて特攻艇「震洋」が格納されているだけのもので、飛行機で敵艦に体当たりする神風特攻隊とは性格が異なっていた。
上図の右下にマーキングした赤丸の拡大図が下の図である。赤い線の所に特攻艇を格納した壕が掘られていたそうだが、今では崩落防止の工事がなされてコンクリート擁壁で覆われているか、擁壁で覆われていなくても私有地であるために立ち入って見学することは難しい。
上図の左上のマーキング部分にも、壕の位置を付け加えてみる。
こちらも今では擁壁工事がなされているが、かつては大きな穴が口を開けており、子供達の格好の冒険場所であったという。
現在、その横穴を目視出来るのが、地図上で右上のマーキング部となる。
こちらは道路に面しており、開口部は塞がれて擁壁工事もされて往時のおもかげを偲ぶよすがもないが、今となっても崖面に開けた口をかろうじて確認できるのである。
無残にも完全に埋められてしまったこの穴に、かつて粗末なベニヤを張り合わせて作ったボートに爆弾が搭載され、人目を避けて格納されていたという。
原型をとどめている震洋格納壕は近くだと大浦海水浴場の脇などに残されているが、江奈湾の格納壕はすっかり幻の壕になってしまったようだ。
その江奈湾から少し北上すると、ひたすら大根やキャベツなどの畑が広がる三浦半島の原風景が広がる。
ほど近くの田鳥原部落には福泉寺という寺があり、離れた閻魔堂や石仏は地元の方の崇敬を今なお受けて、大切にされているのを見て取れるのである。
この福泉寺は、もともと震洋特別攻撃隊「岩舘隊」の本部として使われ、周囲の家々にはまだ年端もゆかず、あどけなさ残る少年兵が今か明日かと出撃の日を待ち、また厳しい訓練に明け暮れていたという。
福泉寺はこの近辺には少ないランドマーク的な存在であり、今回もお参りさせていただいた。
門をくぐると、すぐ左手には岩舘隊の記念碑が残っている。
この福泉寺からほど近い民家の脇にも、洞窟陣地だろうか防空壕だろうか。
崖に穿たれた穴が往時のままの姿で残されていた。
今となっては平和そのもので、じつに静かな村といった風情のところであるが、ここにも紛れなき戦争の息吹はかかり、たくさんの少年たちが死の覚悟を決めては日々訓練に明け暮れ、光も届かぬ暗黒の海の底で殉ずるべく厳しい訓練に明け暮れていたのである。