三浦半島を南北に貫く京浜急行の終端である三崎口駅から原付を5分ほど走らせると、真言宗飯盛山と号する妙音寺がある。
もとは北条氏の祈願所であったが現在は東国花の寺として、また各霊場の札所として登録されており訪れる人も多く、境内には数多くの真新しい石仏が所狭しと並んで、まさに荘厳なる新霊場のおもむきである。
かつて、この妙音寺の裏山は樹木鬱蒼と生い茂って昼なお暗く、まさに聖域にふさわしい森厳たるたたずまいであった。
それが、昭和の時代から次第に切り開かれては椿、あじさい、梅などの木々が所狭しと植えられ、また山の尾根尾根には数多くの石仏が配されて巡礼場としてのおもむきもそなえるようになった。
加えて、そこに自生の水仙や山百合も加わって、境内には美しい花を愛でるべく多くの人が訪れて、今となってはたいへんな賑わいである。
この中でもひときわ目を引くのが迦陵頻伽(がりょうびんが)の石仏であろう。
迦陵頻伽というのはもともと仏教における想像上の生物であって、上半身が人で、下半身が鳥の姿であるとされる。
極楽浄土に住み、その声は非常に美しく、仏の声とも言われている。
そのあまりの声の美しさに、妙音鳥、好声鳥などとも呼ばれて日本では美しい芸妓に対して使われる艶やかな呼び名でもあった。
迦陵頻伽のいるところは、すなわち極楽浄土そのものであり、仏法と慈悲、安楽と清浄があまねく広がった世界である。
それほどまでに卓越した存在でありながら、数々の寺社を見てきたみうけんの中でも迦陵頻伽の石仏を配するところは実に珍しく、華麗にして優美な造形と、美しく柔和な表情は特筆に値すべきものなのである。
迦陵頻伽のいるところは極楽浄土。
この極楽で白い雲に乗り、美しい羽根をいっぱいに広げて、体につけた太鼓を打ち鳴らすそのさま。
眺めていると極楽浄土の宴の席にでもいるような気分にさせられ、無機質な石の造像であるのにもかかわらず、その躍動的なお姿は今にも動き出しそうな勢いを持っている。
いま、夏も終わってしだいに涼しくなる秋の日、ひとり妙音寺の裏山から遠くに見える光景を一望するとき、迦陵頻伽の石仏とその周囲を取り巻く数え切れないほどの石仏たちがまるで浄土曼荼羅を作り上げているようで、ここに救いを求めた数多くの人々たちの息遣いと極楽浄土からの息吹が確かに感じられるようで、感慨もひとしおである。