みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのJog・CE50。時速30キロで見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

悲しき悲話のこる小松ヶ池の怪(三浦市)

京浜急行三浦海岸駅を降り福徳円満地蔵尊を右手に見ながら三浦海岸駅の交差点を入り、線路沿いの小道を三崎口駅方面に向かうと、階段上に堂ヶ島公園を見上げるあたりで京浜急行の線路をまたぐ高架橋となるが、その手前に入る道が「小松が池」へと降りていく道である。

 

 

この小松が池は一見してなんの変哲もない農業用のため池であるが、この地域に古くから伝わる悲しい哀話の舞台でもあり、平成が終わりを告げんとする今でなお脈々と語り継がれている。

 

ある日、この近隣に半農半漁の新婚の夫婦と、意地悪な姑が住んでいた。

その意地悪な姑はまったく働かないばかりか、素直でおとなしい嫁をいじめてばかりいたが、ある日嫁に「日が暮れるまでに畑仕事を終わらせないと晩飯は抜きだ」と言い残しては畑仕事をすべて嫁に押し付け、自分は海沿いの友人宅へ井戸端話をしに出かけていってしまった。

 

逆らうことを知らない嫁は嘆き悲しむ間も、休む間もなく一生懸命に仕事をしたものの、到底間に合うことはなく一反の田植えを残したまま、とうとう日が暮れてしまう。

 

嫁はとうとうと嘆き悲しみ、ずんずんと沈んでいくお天道様に手を合わせ、どうかもう少し沈まないでほしいと一心不乱に祈りを捧げると、不思議なことに沈みかけた太陽がまた高く上ったのである。

 

嫁を心配していた夫は漁の仕事を早く切り上げ田畑へと向かうが、その時にはすっかり畑仕事は終わっており、夫婦二人はそろってお天道様に手を合わせ、礼を言うのであった。

しかし、ちょうどその時に耳をつんざくような地鳴りが響き、立っていられないほどの地震が起きると、瞬く間に地を覆う津波が村を襲い、意地悪な姑は友人とのおしゃべりに没頭していたまま、津波に流されてしまったという。

 

 

今ではそんな悲しい哀話があったとは思えぬほどに穏やかな池で、岸辺には花が咲き乱れては訪れる人の目を楽しませている。 

 

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また、春ともなれば小松が池の周辺は花の名所となり、平日にかかわらず露店まで出てたいへんなにぎわいである。


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しかし、そのわきの水門の前には、前に小松が池、後ろに田を眺める水神の碑がたち、このため池によって生かされた人たちの五穀豊穣と平穏安寧、ことに水害に対する畏れと畏怖の念が感じられるようで、気も引き締まる気持である。


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余談ではあるが、この日は近隣の農家の方も集って野菜を即売しておられた。

どれも取れたての三浦半島の新鮮な野菜で、しかもひとつ100円という破格値である。


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とても立派なブロッコリーや大根が、すべて100円。

みうけんも家庭菜園で野菜を作ることがあるからこそ、野菜を上手に作ることの大変さ、むずかしさをよく知っている。まして、みうけんは趣味だからいいが農家の方々はこれによって生計を立てているのであり、その御苦労は計り知れない。


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たとえ意地悪な姑がいなくとも、食べていくために畑を耕し作物を育てる。

科学と農業技術の発達したいまならまだしも、それらの技術が未開発だったころに決死の事業でため池を作り、全身を汗と泥にまみれさせながら畑を耕して必死に生きた農民たちの姿が、小松が池の穏やかな水面に今なおよみがえるようで、一抹の感慨をさそうのである。