横須賀市西海岸沿い、自衛隊の武山駐屯地から東へ行ったところ、三浦縦貫道路の近くに「扇子畑」(せんすばた)と呼ばれるところがあります。
段々畑がまるで扇子のように広がることから、そのように呼ばれているところです。
かなり古くからの農地であり、およそ約7000平方メートルの広さを誇っていました。
しかし、時代の流れか耕作をする人もだんだんと減ってしまい、今では荒れ地となったところも多くなっているようです。
そんな「扇子畑」のすぐ近くに、「扇子畑のヤグラ」というものが残されています。
この「扇子畑のヤグラ」の「ヤグラ」とは、鎌倉を周辺とした地域に独特のもので、鎌倉時代から室町時代にかけて、岩穴を掘って作られたお墓の事をいいます。
いわゆる横穴古墳とはまったく別のものです。
かつて、この「扇子畑のヤグラ」は46基もあったとされています。
しかし、宅地開発や道路拡張、埋没によって次第に数を減らしていき、現在では1基のみが残されるだけになりました。
昭和期の歴史資料「横須賀こども風土記」によれば、この最後に残された1基の高さは約130センチ、幅は180センチ、奥行き100センチ。
その中には5基の五輪塔が収められていたといいます。
この五輪塔は、いずれも横須賀市でとれた佐島石を使っています。
佐島石は凝灰岩の一種で、それほど固い石でもないものの、その表面には仏や菩薩をあらわす梵字が刻まれていたものもあったという事ですが、その五輪塔がいつ頃作られたものであるかは分かっていないそうです。
この五輪塔の下からは、刀傷のある人骨が出土したといいます。
鎌倉時代から室町時代にかけて、この近辺で発生した戦乱があったのでしょう。
このすぐ近くには黒石の古戦場もありますから、このお墓の被葬者は、その時の犠牲者かもしれません。
そんな、いろいろな謂れのあるやぐらですが、今ではほぼ管理もされていないに等しく、五輪塔もろともすっかり埋もれてしまっています。
このヤグラのあるところの丘の上は、かつて林村の焼き場もあったという事です。
いまなおヤグラのある丘の上には墓地があり、このすぐ近くの坂道には不思議な穴が並ぶ坂もあります。
そう考えてみると、このあたりは色々と不思議なところでもあります。
いま、このやぐらの前の児童公園では子供たちが砂遊びをする平和な光景が広がり、静かな住宅街の上には昔と少しも変わることのない、広くて清らかな空が広がっています。
その陰で、かつてここで戦乱が発生し、多くの無名の将兵が傷つき、倒れていった思い出も徐々に埋もれていくようで、ここにも止まることのない時代の移り変わりと、無情な時の流れをしみじみと感じ、思わず合掌したのです。
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