三浦半島のランドマーク、三崎口の駅からまっすぐ西へ向かうと三戸の砂浜に突き当たります。ここは背後に三浦半島の里を背負い、眼前に雄大に広がる相模灘と、晴れた日には遠く富士山も眺めることができる風光明媚なところです。
この近くには鎮守である上諏訪社の鳥居が見えてきます。
この神社の鳥居は海に面しています。かつて日本の神様は海、山、川といった森羅万象そのものでありました。古い神社などは参道が海につながっており、鎌倉の鶴岡八幡宮などはそのよい例でしょう。
特にこの神社の御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)といって、大国主命(おおくにぬし)神と高志沼河姫(こしのぬなかわのひめ)との間に生まれた神様です。
信濃国の諏訪湖の地の守護神でもあり、神名の「ミナカタ」は「水潟」とも書けますから、特に三浦あたりでは海辺を守護する神として信仰されたのかもしれません。
ところで、この鳥居の先の三戸浜には、大きな角石がいくつか打ち捨てられているのを見ることができます。
これは、地元の人の間からは天神丸と呼ばれて親しまれている石で、しかしその名の由来はようとして知れません。
この近くに住む知人に聞いても、「ただ昔からそう呼ばれてるから」との事でした。
大きさを計ってみましたが、縦3メートルはあります。
抱えるほどの大きな巨石ですが、明らかに人為的に切り出されたものです。
これは、文化9年(1812年)に著された三浦半島の歴史資料である「三浦古尋録」には、「此社の前なる浜に九尺四方も有る大石二つ有。是は昔、廻船積来る処此浦にて難風に逢ひ其時より有と申伝ふ」とあります。
一説によると、この石は江戸城が築城された際に石垣の石材として運ばれた石だったのだといいます。
伊豆で切り出され、船に乗せられて江戸へ向かう最中にしけにあい、船が難破して、そのままここに座礁したのだという話が残っています。
当時の船は木造でしたから、長い年月を経てこうして石だけが残ったものと推測されています。
この巨石、天神丸と呼ばれていることは先ほども書きましたが、もしかするとこの石を載せていた船の名前からとった名前だったのでしょうか。
広い砂浜の砂の上に、何の説明文もなく波が打ち付ける四角い石ですが、ここにもこのような歴史の一幕があったことを思うと、やはり三浦半島という地の魅力の深さを思い知らされます。