みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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将軍から下賜された 鈴木という姓(横須賀市)

千葉の浜金谷と、横須賀を結ぶフェリーターミナルがある久里浜というところ、フェリーターミナルの横に、住宅街の中にひっそりと佇むのが住吉神社です。

その創建年代は詳らかではないものの、地元の里人たちの間では航海や漁業に霊験あらたかとして、今なお篤い信仰を受けています。

  

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この神社の周囲には、現在でも鈴木という姓の家が多く残っています。

ちょうど、鳥居の前の大通りを渡ったあたりを歩いてみると、表札に鈴木の名前を多く認めることが出来ます。

この住吉神社と、鈴木という姓には鎌倉時代から続く将軍さまと漁師たちの伝説が残されています。

 

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鎌倉時代のこと、住吉神社がまだ栗浜明神と呼ばれていたころの話です。

その頃の栗浜明神は、海の幸によって生活を支える漁師たちにとっては、なくてはならない海の神さまであり、漁師たちが漁に出る際には必ず栗浜明神に寄って豊漁と海上安全を祈願するのが習わしでした。

 

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また、三浦半島一帯を支配していた三浦一族にとっても大切な神様で、三浦水軍の守り神としても篤く信仰されていたという事です。

 

時が流れて三浦一族が滅亡し、鎌倉幕府を開いた源頼朝が亡くなり、天下は源頼朝の子、源頼家の治世となりました。

 

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源頼家は、父であった源頼朝と、その重臣であった三浦一族が鎌倉幕府を開くにあたり、さまざまな苦労を重ねてきた三浦の地を訪れては、かつての先人たちの苦労に思いを馳せるのでした。

 

その折、かつて源頼朝が武運を祈った栗浜明神にもお参りした帰りに、源頼家と供の侍たちは近くの漁師の家で休憩を取ることにしたのです。

 

突然の「鎌倉殿」の訪問に村中はたいそう慌てふためき、何か食べるものを所望される源頼家の言葉には、ただただ驚くばかりです。

 

なんといっても、突然の事の上に魚以外は何もない貧しい漁村ですから、お殿さまの口に合うような料理をすぐに用意するのは至難の業だったのです。

 

唯一手元にあった魚をあわてて料理し差し出すと、源頼家はたいそう気に入り、このような旨い魚を食べた事はない、とばかりに皿に盛られた魚をきれいに平らげてしまったのです。

 

源頼家は満足気に、この魚は何という魚か、と漁師に尋ねると、この魚はスズキといって、幼魚から成魚になるまでに、何度か呼び名が変わる「出世魚」だと説明しました。

 

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この話を聞いた源頼家は「出世魚とは縁起が良い」と、たいそう気に入って、その褒美として漁師にスズキという姓を下賜されたのです。

 

貧しい漁民が姓を名乗るとは考えられなかった時代ですから、この漁師はたいそう喜んで、現在に至るまで「鈴木」という名を大切に守り続けているとのことです。


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いま、時は流れて久里浜の海はすっかり様変わりし、三浦水軍や小さな漁船に代わって、大型のフェリーが接岸するようになりました。

 

しかし、今もこの栗浜明神は、住吉神社と名を変えて近隣の信仰をますますあつめ、海をゆく船々たちを静かに見守っているかのようです。

 

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