綾瀬市の大上というところに、珍しい弁天様が祀られていますよ、と読者の方から教えていただいたのでさっそく原付を飛ばして参拝しに行ってきました。
情報ありがとうございます!!
その弁天様は、東名拘束道路の蓼川橋を渡ってすぐのところにいらっしゃる、「亀甲山七面天女」さまという社の神様ということでした。
社殿の扁額は、なんと昭和10年3月のもの。
意外と古いのですが、まるで最近掲げられたものであるかのようです。
そこには、確かに「亀甲山 白糸七面大天女」さまと書かれていました。
脇には比較的に最近建てられた案内板があり、そちらには表題を「弁財天」としたうえで、
亀甲山白糸七面大天女といい、明治の末ころに造立されました。
当時の綾瀬では養蚕が盛んであり、この下の低い場所に建てられた製糸工場に蛇が入り込み白くミイラ化したものを真綿でくるんで祀ったのが初まりといわれています。
と記載されています。
さっそく社殿に一礼をするとともに、お社の中をよくよく拝見すると、そこには自然木で作られた燭台の奥に石像の御神体が祀られていました。
何かにからみつく巳の姿はウロコも生々しく、躍動感にあふれた見事な造像で、その下には「辨才天」と陰刻されています。
ここでは蛇の姿をしていますが、ここの白糸七面大天女さまも「天女」とあるからには、女神さまなのでしょうか。
七面天女は法華経を守護するとされ、もとは日蓮宗の総本山である身延山久遠寺の守護神として祀られていたものが全国に広がっていきました。
そういえば、みうけんは巳年です。
巳年=蛇は弁財天の使いであるから、みうけんの守護は弁財天がふさわしいとして、幼少の頃に住んでいた所の近くの弁財天様に祖母に連れられてお参りに行ったことを今でも思い出し、今でもたまに挨拶に行っています。
その祖母は、現在は祖父と共に日蓮宗のお寺のお墓で眠っています。
祖母の教えも、ここから来たのかもしれません。
いま、この亀甲山 白糸七面大天女さまの祠を見ると、何重にもクサリが巻かれて厳重に鎖錠されています。
どうやら賽銭泥棒がいるようで、実に不届きではありますが、ここまでがんじがらめにしなくてはならない世の中を思うと、少し悲しい気分にもなってしまいます。
ふと、脇をみると松の木をたたえた芝生が広がっていました。
昔は、ここに製紙工場が広がっていたのでしょうか。
それとも、このすぐ下の東名高速道路が通る場所が、かつての製糸工場でしょうか。
今となっては、その痕跡を見ることはできません。
いま、この亀甲山 白糸七面大天女に一人向き合い、静かに手を合わせてはこれからの家内安全をお願いし、また今までに多くのお賽銭が失われていったことであろう非礼にお詫びをして、原付のエンジンをふかし、この地を後にしたのでした。