秦野の里を眼下に一望する小高い山全体に広がる弘法山公園は、家族連れが多く集まる美しい公園であると共に、その昔弘法大師が修行されたとも伝えられている関東屈指の霊山であり、かつては真言宗の聖地ともされた山である。
その弘法山公園へ上がっていく小道は、かろうじて舗装されているために原付でも登りやすく、頭上には弘法山公園の美しい花々を、眼下には秦野市を流れる道々の車の群れをはるかに見渡すことができて、しばらくエンジンを止め、しばしの物思いにふけるにちょうど良い所なのである。
この道を上がっていく途中、小さな看板が道の脇にたち、看板の裏手には一抱えもあるような自然石が崖から顔をのぞかせているのを見て取れるが、これこそが弘法大師の弟子と、その弟子に愛された亀の伝説を残す「亀の子石」なのである。
その昔、この山は弘法大師とその弟子たちが修行をする霊山であったと伝えられ、特に山頂付近は弘法大師にまつわる霊跡が数多く伝えられている。
その弘法大師の一番弟子と呼ばれる一人に、この山で修業三昧の日々を送っていた高僧がいたが、ある日病にかかり、手厚い看病もむなしく亡くなってしまったのである。
この高僧はたいそうな亀好きで、大きな亀をたくさん飼って楽しんでいた。
あとに残された亀たちは飼い主の死を大変嘆き悲しみ、何を思ったか一斉に弘法山の急斜面を登り始めたのである。
その姿は、まるで飼い主の師である弘法大師が篭られた山の山頂を目指しているようで、まさに一心不乱に登るその姿は鬼気迫るものまであったという。
しかし、さしもの亀も水から上がっての陸上行脚である。
亀たちは次々と力つき、哀れなるかな野面に空の甲羅を晒すことになったのである。
やがて、その取り残された甲羅は石となり、この弘法山の斜面に多く残ることとなった。後の世になって、この伝説に心を痛めた人々によって「亀の子石」という名が与えられ、今に至っても人々に愛され続けているのだという。
この弘法山には、他にも亀の子石と呼ばれる石がいくつかあるが、この場所にある亀の子石は道からも見やすい位置にあるため、このようにして立派な案内看板まで出されては大切に守られ続けてきたのである。
まさに、愛する主人のもとへ少しでも近づこうという、一途な亀たちの思いがここにも伝わってくるようで、今となっては何の変哲もないハイキングコースのような林道のような道の脇の崖に露になった石に、このような伝説が残されているとは実に興味深いことである。
いま、この亀の子石の脇に立ち、高台の上から眼下に広がる秦野の街並みを眺めるとき、この時と同じ夕暮れの静寂のなかを一心不乱に登って行った亀たちの姿が思い起こされるようで、ここにも民話というものの面白さと哀しさをそくそくと感じるのである。