横浜市戸塚区の俣野町というところは、どの駅からも実に遠くて交通が不便なところでありながら、かつて横浜ドリームランドというテーマパークが作られた歴史がある。
その跡地の俣野公園の脇に、いっそう秀麗で朝日に映える真紅の鳥居と本殿を誇るのが相州春日神社である。
このあたりは、もともと横浜ドリームランドの跡地であった。
昭和39年(1964年)に開園し、当時としては超高層のホテル「エンパイア」(現在は横浜薬科大学の図書館棟)を中心とした一大レジャーランドであったが、大船駅とドリームランドを結んだドリームランドモノレールがわずか1年で運行休止となるや、その立地の悪さが足かせとなって経営はふるわず、平成14年(2002年)に閉園して、現在その跡地は横浜薬科大学や俣野公園となっている。
この相州春日神社は、横浜ドリームランドを建設する際にその繁盛を願って、武甕槌神(たけみかづちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)を祭神として昭和39年(1964年)に奈良の春日大社の分霊を勧請したものである。
当初は「ドリームランド春日神社」と称されていたが、ドリームランドが閉鎖された頃には宗教法人として独立しており、「相州春日神社」と改名して現在に至る。
境内には春日大社から賜わった「神鹿」の子孫が飼育されており、奈良に行かずしても奈良観光の気分を味わう事が出来るのである。
さて、春風が花粉を運ぶ3月、この相州春日神社を参拝した折、本殿にたくさんの人形が納められていることに気が付いた。
これらは皆、不必要になった人形たちが納められたもので、この神社でお清めをうけて処分されるのを待っているのであろう。
この色とりどりの人形たちは、主に雛人形たちである。
可愛い娘たちに幸多かれ、健やかに育てよと与えられたものであろう。
しかし、現在の住宅事情では雛飾りを出す場所もなく、やむなくこのようにして納められた人形たちも多いことであろう。
また、脇には五月人形や弓太刀も収められており、こちらは男の子が決して病などしない強い子になるように、と願いを込めて贈られたものであったのだろう。
我が家にも、幼少の頃に頂いた五月人形が何年も押入れの奥に眠っている。
大きな家の床の間にでも飾れば映えるのであるが、現代の住宅事情の中では、なかなか日の目を見る事はない。
しかし、この一体一体の人形たちは、ただ意味もなく存在するのではなく、その一つ一つに色々な想いが込められてきたのだ。
それらの想いを秘めた人形たちは、今ここでお焚き上げされるのを待つだけとなり、それぞれ物言わぬ胸の内にどのような想いを秘めている事だろうか。
いま、人気の少ない朝の春日神社で、奉納され主を失った人形たちの一体一体に向き合うとき、これから彼ら彼女らに迫り来る運命が思い起こされて、聞こえるはずのない慟哭が聞こえて来るかのようである。