横浜市営地下鉄の港南中央駅を降りて、駅前の鎌倉街道を南下していくと、ほどなく桜道坂上の交差点に差し掛かる。
その交差点を左に折れたところに上っていく急坂が桜道であり、かつての見事な桜の老木は横浜市によって伐られてしまったものの、新しい桜の木に植え替えられて若木の桜花が春の装いをいっそうきらびやかに彩っている。
この坂の中盤には乗願寺という浄土真宗高田派の寺があり、その裏手は急斜面に張り付くようにして広がる住宅街となっているが、かつてこのあたりには不思議な伝説が残されていた鎮守さまのあったところなのである。
Iphoneのアプリ、「横濱時層地図」で明治14~15年頃の、このあたりの古地図を見てみると、安房洲神社という神社がはっきりと記載されているのが見て取れる。
この安房州神社は、かつてこの地の鎮守様としてアワノスさまと呼ばれて親しまれ、その創建については実に不思議な伝説を伝えていた。
むかし、遠くの海の上では稲妻が走り、大地を震わすようなすさまじい雷鳴がとどろき、笹下の里の人たちはこの上はないという恐怖で身を震わせていた。
すると、はるか東の空から紫色の雲がたちこめて瞬く間に空を覆うと、笹下の村は天上の歌声と思しき美しい音色に覆われ、不思議な雰囲気に包まれたのである。
すると、驚いて声も出ず立ち尽くす里人のもとへ、どこからともなく見たこともない年老いた僧侶があらわれ、
「あの紫の雲が消え、歌声がやむ時、その場所に社を造りなさい。たった今、安房の国(現在の千葉県の南部)から州崎明神がお出でになられたのだ」と告げて煙のように消えてしまったのである。
これはただ事ではない、と感じた笹下の村人は、紫の雲が里を見下ろす高台に集まっては吸い込まれるようにして消えていくのを見届けた。
村人たちは早速その地を「唄う坂」と名付け、立派な社を造って「安房洲明神」としてお祀りしたとされるが、現在ではその正確な位置は分かっていない。
しかし、時は流れて、村人も世代交代が進むと村人たちの信心も薄れたのか、社はすっかり崩れ、荒れ果てるに任せる有様であった。
やがて、この辺りを治めていた殿様・間宮豊前守信光の夢枕に、まばゆく光り輝く人影が立ち、
「自分は安房洲明神であるが今となっては村人からも忘れられ、祠は荒れてどうしようもならぬ。そこで、そなたに新しい場所に祀りなおしてほしい。
自分は水の音が嫌いなのだが、今の社は水の音が聞こえるので、水から離れたところに祀りなおしてほしい」、とのお告げであった。
そのお告げを受けた信光は、さっそく里という里を巡っては社を造るに適した場所を探し、ようやく適地として見出したのが、先ほど紹介した住宅街なのである。
やがて、信光が徳川家康公について大坂の陣に出陣したことがあった。
危うく敵に首級を取られるかというとき、突如として暗雲が立ち込めて大蛇があらわれ、信光の代わりに首を刎ねられて消えたという。
恐れおののく敵兵から逃れて無事に笹下に帰った信光は、安房洲明神に詣でて戦勝の礼を述べたが、なんと社の境内には巨大な大蛇が死んでおり、それは明らかに信光を救った大蛇であったのである。
信光は、この蛇が身代わりとなって一命をなげうち、自らを守護してくれたのであろうと大いに感激し、この蛇の骨をご神体として大切に扱い、現在の福聚院に納めたとされている。
その伝説が口伝いに伝わると、身代わり厄除けに霊験あらたかであるとの評判を呼び、一時期は盛大な祭礼が催されてたいへんな賑わいであったというが、明治41年(1908)に、国策により近くの天照大神(神明さま)に合祀され、その社はすっかり姿を消したのである。
村人たちは大いに嘆き悲しみ、しかし国策に逆らうわけにもいかなかった。
しばらくは毎年9月の祭礼の日に、社があった場所に集まっては酒を酌み交わし語り合う影まつりを続けていたというが、それも昭和の時代には絶えてしまったという。
現在、もとの社があったと推定されるところには住宅が立ち並び、その往時をしのぶよすがもないが、かつて参道であったろう細い路地の奥に、崖に面して開けた一角が、かつては社殿が聳え、多くの人でにぎわった安房洲明神の跡地であった事をわずかに偲ばせているのである。
いっぽう、この天照大神には、この安房洲明神を含めて笹下地域などから無格社7社を合祀したが、そのうちの「天太玉命」というものが往時の安房洲明神であると言われている。
それから幾星霜の月日が流れ、安房洲明神のことも、合祀された残り6社のこともすっかり忘れ去られてしまい、今は天照大神ただ一社が笹下の総鎮守であるとして、この街と氏子たちを静かに見守り続けているのである。
いま、急峻な石段を息を切らしながら登りきったところ、高台の頂上の天照大神から遠く笹下の里に広がる家々の屋根波を眺めるとき、この悲しい運命をたどった安房洲明神の神様と、その神様たちに守られている住民たちに幸多かれと、思わず手を合わさずにはおれないのである。