横浜市港南区は横浜のベッドタウンとして、山を切り開いてどこまでも住宅が続く典型的な日本の郊外のまちである。
ここ港南区笹下にある浄土真宗高田派の梅花山 成就院は、創建年代等こそ明らかではないものの、かつては法相宗の寺院で曲田山上行寺という寺であったものが、鎌倉時代の建保2年(1214年)に浄土真宗に改宗したというから、いかに歴史の古い古刹であるかが分かろう。
この成就院の下に伸びる坂を、かつては坊坂と呼んでいた。
今となってはその名は地図にも載らず、地域でもそう呼ぶ人はほとんどいないが、この坊坂にまつわる不思議な三毛猫の伝説が残されている。
むかし、まだこの寺が成就坊と呼ばれていたころ、寺では一匹の三毛猫が飼われていた。いつミケネコが飼われていました。
この寺の御新造さん(若奥さん)はこの三毛猫をたいそう可愛がって、三毛猫もとてもなついていたのだという。
この御新造さんは、とても歌が上手で、何をするにも歌を歌っていた。
その澄んだ声は美しく、誰もが称えるほどの歌であったが、ある日村人がこの坊坂を通りかかると、御新造さんの歌声に合わせて可愛らしい歌声が聞こえてきたのである。
おや、この寺に子供がいたのだろうか、と思って村人がのぞくと、なんと御新造さんに合わせて三毛猫が脇に座り、一緒に歌っているではないか。
この歌を歌う猫は評判になった。
なんでも、御新造さんの脇にいつもいたので歌を覚えたという事であったが、この噂が噂を呼んで評判となり、隣村からわざわざ歌を聞きにやってくる者までいたという。
ところが、ある日の三毛猫が寺の山門の石段にしょんぼりと座っているので、一体どうした事かと村人が声をかけたのである。
三毛猫が言うには、このところ風邪をひいてしまって、御新造さんにおじやまで作ってもらったが、そのせいで風邪は治ったものの舌をやけどしてもらい歌が歌えなくなったのだという。
哀れに思った村人は三毛猫を慰めようとマタタビをとってきて三毛猫に与えたところ、三毛猫はすっかり元気を取り戻して、四~五日後には坊坂のあたりにはより一層美しい歌声が聞こえるようになったのだという。
かつて、この坊坂のあたりは一面の杉田梅林が広がり、梅花山の名もそこから来たものであるが、宅地化の波に抗えずにすっかりと様相は変わり閑静な住宅街になってしまっている。
かつて聞こえていたであろう三毛猫の美しい歌声も、今となっては聞こえてくることはないが、この伝説は港南区の昔ばなしの一つとして語られて、今に伝えられているのである。
三毛猫が歌を歌い、村人と話をするというと完全におとぎ話である、実話ではない、史実ではないと斬り捨てる方々もいるが、このような面白い話が各所に残されているところに、自然と共に生きてきた日本人の精神史が宿っているのであろうと思うのである。