みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。※現在アップしている「歴史と民話とツーリング」の記事は緊急事態宣言発令前に取材したものです。

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人柱になった山伏を祀った 小野の堰神社(厚木市)

厚木市西部に流れる玉川は周囲の田畑をうるおし、今なおゆるやかな流れをたたえています。

近くはだいぶ宅地開発がなされ、自動車メーカーの広大な開発工場なども整備されて発展も著しいところですが、玉川の周辺は田畑も多く、どこか牧歌的な光景を今に伝えているところです。

 

この玉川流域の小野という里は、もともと全国に数ある小野小町の出生地としても伝えられているところで、古くから人々が営みを続けてきたところです。

 

そんな小野の集落の中、堰神社という神社には、自らの身をもって里人たちを救った山伏の伝説が残されています。

 

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時は天正4年(1576年)のことです。

この年は、戦国時代の真っただ中で、甲斐国の恵林寺では武田信玄の葬儀が行われた年でもあります。

 

この年は、6月の梅雨時にもなろうというのにまったく雨が降らず、日照りが続いていました。

稲作の出来の良しあしを決めるのは、何といっても水が不可欠です。

 

ここ小野の里の人々も困り果て、村の領主であった武四郎左衛門利忠にたのんで、玉川に堰を作って水の流れを確保することにしたのです。

 

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しかし、ブルドーザーもダンプカーもない時代ですから工事はそう簡単にいくものではなく、いくら里人たちが献身的に働いても川の流れの激しさには抗えません。

 

いくら力を合わせて杭を打とうとも、俵に土を詰めて積み上げようとも、あれよあれよという間に流されてしまうのです。

 

村人たちはたいそう困り果て、解決策を話し合いますが一向に良い案は浮かびません。

村人たちが膝を突き合わせて座り、苦虫を噛みつぶしたような顔で押し黙っていると、どこからか赤い馬に乗った一人の山伏が現れました。

 

山伏は、自らを筑波山に住む桂坊という山伏であると名乗り、大山へ参詣ののちに必ず戻ってくる。その時に村人たちを救ってやろう、と言い残して立ち去ったのです。

 

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村人たちは何事が起ったのかとうわさしあいましたが、その山伏は翌日に戻ってきました。

 

山伏は自らが杭になれば、たちどころに堰は出来上がるであろう。

ただし、この場所には今後はけっして、杭と名のつくものを打ち込んではならない。

と、だけ言い残して衣を脱ぐと、玉川の激しい流れの中に身を躍らせたのです。

 

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山伏の姿は瞬く間に見えなくなりましたが、あまりのことに村人たちはただ見ているしかありませんでした。

 

それからというもの、村人たちが工事に励むと川の水がぴたりと穏やかになり、工事はとんとんと進んでいきました。

 

このおかげで立派な堰が出来て、枯れかけていた長谷村の田にたくさんの水を流しこむことができたために、それからというもの長谷村にはどんな干ばつが来ても田が枯れることはなかったということです。

 

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領主であった武四郎左衛門利忠のみならず、里人たちはみんな、この山伏にいたく感謝しました。

里人たちは山伏が着ていた服をねんごろに供養して「衣塚」を作りました。

 

この「衣塚」は今でも「不浄ヲ禁ズ 堰神社旧跡衣塚霊場 天正六年九月廿五日建之 長谷氏子中」と刻まれた石碑が、堰神社の近くの田の中に残されています。

 

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また、武四郎左衛門利忠は、この山伏の霊を自分の屋敷近くの山に祀って「堰大明神」として長谷村の守り神とし、あつく信仰したということです。

これが、いまの堰神社なのです。

 

いま、初夏の風がさわやかに通り抜け、青々とした豊かな稲を揺らす小野の里に立ち、衣塚の背景に広がる雄大な大山山麓をながめるとき、この平和な里にもかつては多くの里人たちが自らをなげうって堰を作ろうとしたことと、その里人を救ったひとりの山伏の記憶がにわかに思い出され、ここにも数百年の時の流れに思いを馳せたのです。

 

 

 

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