小田急線秦野駅の北側に元町という地域があるが、この元町の龍門寺のあたりは古くから御門と呼ばれていた。
それというのも、今から千年以上も昔に、平将門が秦野に来た時、地形が京都によく似ているとの事で大層気に入り、現在の龍門寺辺りに館を構えたのが由来と伝えられているのである。
この「御門」を中心に、この付近には京都にある祇園、加茂、河原町などの地名が今なお残されているのである。
現在、元町から少し北に行った所に日蓮宗の妙法寺という寺があり、その片隅には鴨居稲荷と呼ばれる稲荷社が残されているが、これも秦野と平将門の伝説の舞台となっているのである。
すっかり秦野が気に入った平将門は、秦野に都を築こうとしていた。
そんなある日、夢の中に一匹の白い狐が現れて、「秦野は土地も狭く、地形も不利である。都には向いていない」と告げてきたのである。
気になった将門は辺りをくまなく探してみると、すぐ近くに小さな稲荷社があり、夢に出てきたキツネはお稲荷さまに違いないと、何度も何度もお参りして秦野の地をあとにしたということである。
村人達はそのお宮があった地名から「鴨居稲荷」と呼んでいたが、以前はたばこ工場の敷地内にあったものが、参拝に不便であるとして、現在妙法寺の境内に移されたのだという。
いま、この小さな社には銘板も由来書きも何もなく、ただ両脇に据えられた、古くなった狐だけが、ここが稲荷社であることを物語っているかのようである。
いま、この鴨居稲荷の前で静かに手を合わせるとき、はるか昔に夢のお告げを下された霊験あらたかな稲荷神に、改めて敬慕の念が湧き起こり、長らく里人から大切にされてきた狐像の割れたお顔も、心なしか穏やかに見えて来るのである。