眼下に城ヶ島を望む小高い丘の上に、浄土宗の古刹である見竜山・無量寿院・光念寺という寺がある。
歴史ある古刹であるとともに、数多くの民話が残され、現在となっては併設された幼稚園の園児たちが楽しげに遊ぶ声が境内にこだまし、寺の境内からは入り江の向こうに城ヶ島と、それにかかる城ヶ島大橋、眼下には三浦三崎の漁師町をはるかに望むことができ、じつに風光明媚なところである。
この光念寺の門前には2つの階段があって、それぞれ眼下の三崎の港町へと降りていくことができる。西側に伸びて稲荷神社の脇をくだっていく階段と、東側で屈折しながら下っていく急峻な階段がそれである。
そのうち東側の階段のほうを降りていくと、その中腹のコンクリート擁壁のところに小さなトンネル状の掘り込みが作られているのを見つけることができるのである。
もともと、このコンクリート擁壁は平成7年度(1995年度)に急傾斜地に対する施設改良工事と称して、神奈川県土木部によって行われたものである旨、銘板がはめ込まれている。
いまから25年ほど昔のことであろう。
そのコンクリート擁壁の中に穿たれたトンネル状の穴のなかには、自然土むきだしの崖の一部が名残のように残り、そこには半ば朽ちかけ、ほこりがつもった神棚が祀られているのである。
屋根には土がつもり、全体的に土ぼこりがまとわりついたのか泥だらけといった様相であるが、きちんとした前庭がつくられ、また立派なアーチ状のトンネルじたいがお社のようでもあり、この中には今でも神様がいらっしゃることであろうか。
一見して、なんの変哲もないただの土くれのがけの中腹に、どのような経緯でこの神様は祭られ、そしてお社が朽ちかけても凛としたその存在は変わることなく、しっかりと作りこまれたトンネルに守られているのである。
このトンネルをよく見ると、煉瓦をアーチ状にはめ込んでつくってあり、かつて明治期から大正期にかけて日本で数多く作られた、西洋式のトンネルを彷彿とさせる立派な雰囲気をもっている。
この土地の持ち主にしても、この工事の施工者にしても、なにか特別な意味合いがある大切な社なのであろうか。
この小さな社には、なんの由来書も説明板もなく、どのような神様が、どのような経緯でここに祀られ、人々の信心も薄れた平成の時代にあってもなお、如何様にしてこの地にとどまり続け、今なお祀られ続けているのか知る由もないが、ここに社が守られているからには必ず何かしらの由来があるはずで、大いに気になるところである。
いま、祀られた神様の名すらわからぬ、朽ちかけた小さな社に手を合わせ、心静かに階段を登って眼下にのぞむ三浦三崎の街並みと、城ケ島にかかる穏やかな海面を眺めるとき、足元に揺れる黄色い花は昔と変わらずに咲きつづけ、ここにも時の流れの無常をそくそくと感じずにはおれないのである。