眼下に城ヶ島を望む小高い丘の上に、浄土宗の古刹である見竜山・無量寿院・光念寺という寺がある。
歴史ある古刹であるとともに、数多くの民話が残され、現在となっては併設された幼稚園の園児たちが楽しげに遊ぶ声が境内にこだまし、寺の境内からは入り江の向こうに城ヶ島と、それにかかる城ヶ島大橋、眼下には三浦三崎の漁師町をはるかに望むことができ、じつに風光明媚なところである。
この寺については、 過去にもいろいろと記事にしている。
この寺を開基したのは三浦一族の重臣であった和田義盛であったから、当然和田義盛にまつわる伝説も多くなるのであるが、わが手元の地域資料には大正時代というずいぶん昔の光念寺の写真が残されており、そこには立派な黒松が聳えているさまが写されている。
(松浦豊著「三浦半島の史跡と伝説」より)
この黒松にも、面白い逸話が残されている。
黒松というのは、九州から東北地方にかけた海岸地方に広く自生する常緑の松で盆栽としても人気がある。
成長すれば高さ二十メートル、直径二メートルにもなる大木となる場合もあり、また旺盛な繁殖力をもっていることで知られている。
ある日、この光念寺の境内で陽光にあたってうとうと昼寝していると、突然足元から金切声のようなけたたましい叫び声がした。
叩き起こされた黒松は何事かと足元を見ると、そこには小さなタケノコがこちらをにらみつけているではないか。
話を聞いてみると、まるで矢か槍のように先をとがらせたタケノコは、
「松の太い腕が伸びているせいで、このままでは真っすぐ伸びることが出来ない。近いうちに竹が伸びる邪魔になるだろうが、早くどかなければぶつかってしまうから、早くどいて欲しい」というのである。
これには松も怒り心頭で、もともとここに立っていたのも、腕を伸ばしていたのも松の方である、後からやってきてつべこべいうな、という感じに取り合わなかったのだという。
竹というのは、太い孟宗竹も細い篠竹も、風にしなって柔弱に見えるが、その実際はとても強靱で意志も強く、曲って伸びることを知らない。
まっすぐに空に向って伸び、行く手を阻む者があればこれを打ち抜いても自らの進む道を変えない強靭な意志の持ち主である。
やがて竹の穂先は松の腕にたどり着き、松も一歩も譲らずに決戦の時がやってきた。
最初は両者譲らずよい勝負であったが、いつしか太い腕のような松の枝を竹が貫き通してしまったのである。
しかし、相当痛むはずの松であったが、じっと耐えてのやせがまん、松も一歩も譲らない。
これに加勢しようと竹の兄弟や子孫が次々と竹を伸ばして松を貫き、ついに松の太い腕には数本の竹が通り抜けて、育っていったのである。
この珍しい松と竹の戦いの奇跡は光念寺の名物となり、一時は見物に来る人で境内はたいへん賑わったという。
しかし、この松も年を取ると次第に弱り、やがて松食い虫に食われてすっかり枯れてしまい、今となっては写真の中にその姿を残すのみになってしまった。
今、この激しい戦いが繰り広げられた光念寺の庭には、当時の竹の子孫か分からぬがたくさんの篠竹が寺の周囲を囲んで生垣となり、松の枝のさえずりの代わりに、境内の幼稚園児が可愛く歌う声が聞こえる平和な光景となっているのである。