みうけんのヨコハマ原付紀行

愛車はヤマハのシグナスX。原付またいで、見たり聞いたり食べ歩いたり。風にまかせてただひたすらに、ふるさと横浜とその近辺を巡ります。

人間の傲慢を狐が戒めた 保土ヶ谷のおなべ稲荷(横浜市保土ヶ谷区)

JR線の保土ヶ谷駅を降り、東海道を西へ下ってしばらく行くと、保土ヶ谷本陣の跡の碑が残り、そのさらに先にある路地を入っていくと、車が1台通るのがやっとという細い路地の奥に瀬戸ヶ谷の八幡社が静かな雰囲気のまま残されている。

 

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この瀬戸ヶ谷の八幡社には、こぢんまりとした本堂の脇に小さくも美しい真紅に塗られた稲荷社があり、これを地元の人は「おなべ稲荷」として親しんでいるが、この八幡社とおなべ稲荷にはいかにも昔話らしい、しかして不思議な狐の伝説が「おなべ稲荷の由来」として残されているのである。

 

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昔、このあたりに音次郎という男が一人で住んでいた。
この音次郎が井土ヶ谷まで用事を済ませに行った帰り、草むらで一頭の狐が昼寝をしていた。常日頃、じい様から「狐の昼寝を邪魔するとタタリがある」と聞かされていたが、音次郎は「そんなバカな事があるものか」とばかりに狐に大きな石を投げつけたのである。

 

大石が足にあたったものだから、狐は飛び上がって起きたが、音次郎の仕業と分かった狐は音次郎を一瞥するように睨み付けると巣穴へ潜って行ってしまったのである。

 

すっかり得意になり「ざまあみろ」と言わんばかりに鼻で笑って、その日は何もなかったように帰った音次郎であったが、その日の夜も更けたころ、音次郎の家の戸を叩く者があった。

 

音次郎が戸を開けてみると、顔の真っ白い美しい女が立っている。しかし、その女は左足をひどく怪我しているようであった。その足を引きずったまま何も言わずに入り込むと、音次郎を恨めしそうに睨み付けながら立っているだけであった。

 

「どこの女だ、何をしに来た」と音次郎が問い詰めたところで女は一言の言葉もない。ただにらむ会うだけの長い長い時間が、ただいたずらのように過ぎ去っていった。

 

その日から、音次郎は病に伏すようになった。すっかり弱って起き上がることもままならぬ音次郎の枕元には、きまって毎晩のようにあの女がやって来ては枕元に立ち、音次郎の顔を恨めしげに見下しているのであった。

 

音次郎はすっかり怯えて「帰れ!! 帰れ!!」とか細く言うのだが、そんな事が続いたある日の夜、女は初めて笑うと「わたしは久保山の狐で、名をおなべと申します。さる日にあなた様が投げた石が当たって、このように自由のきかぬ体になりました」と言うのである。

 

ハッとした音次郎は、女からひどく膿んだ左足を見せられて、その場にひれ伏し泣いて謝った。

おなべは「そこまで詫びるなら許してあげましょう。ただし、私の巣穴の上に稲荷の祠を作って、わたしを祀るのです。そうすればあなたの病も治してあげましょう」と言って、スーッと消えてしまったのである。

 

その日から、音次郎は全ての財産をはたいて、やっとの事で稲荷堂を作り上げた。これが現在の「おなべ稲荷」である。

この稲荷社が出来てからは音次郎の病もすっかり癒え、この噂が村々に広がると大いに評判になり、病の快癒を願って連日お参りする人が絶えず、一時は屋台まで出る賑わいだったという。


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時代も変わったいま、このおなべ稲荷には由来書どころか扁額すらなく、何の知識もなければこの稲荷社がおなべ稲荷という名である事すら分からない。

 

だが、今こうしておなべ稲荷の前に立つと、稲荷堂の背後にはうっそうとした森が続き、その雰囲気は森厳として神々しく、いかにも霊力を持った狐が終の住処とするにふさわしく、静寂の中にただ聞こえてくる木々のざわめきと小鳥のさえずりの中に、今なお途絶えることのない霊力あらたかな霊狐の力がひそかに伝わってくるかのようである。